2011311日午後246分、宮城県沖約130kmの海底を震源として巨大な地震が発生し、直後に発生した大津波が東北地方の太平洋沿岸に押し寄せて、多くの人命を奪い多大な被害を及ぼした。さらに震災の発生直後から福島第一原発の1号機から4号機までが深刻な事故に陥った。一部の識者からは、地震や津波による原子力発電所への深刻な影響が懸念されていたにもかかわらず、今回の震災であっけなく世界史的な事故を起こしてしまった。事故の詳細は調査委員会が調査中のため、最終的に真実が解明されるまでには、炉心の分解を含めた実際の装置の検証が必要で、解体が進む時期まで待つしかない。スリーマイル島の例だと事故後およそ10年の年月が必要だった。今回の件も、恐らくその程度の長い時間がかかるものと思われる。そこで、これまでマスコミなどを通じて伝えられてきた状況を元に、なぜ福島第一原発が深刻な事故に直面したのかを検証してみる。

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2013/10/25

福島原発-事故の要因  福島第一原発はなぜ壊れたか

福島第一原発の立地点

現在福島第一原発の主要設備が建っている地盤は、数層の砂岩質が堆積していた。設備の建設前には海抜35mほどあった丘で、海岸は崖になっていた。現在のサイト内でもっとも標高の高い超高圧開閉所がある地点が本来の地盤であった。原子炉建屋、タービン建屋など主要施設の建設はこの丘を掘削して、海抜10mほどまで切り下げた上で基礎工事が行われた。
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号機は、1967929日に着工し、1971326日に、日本で二番目の商業運転炉として本格稼働している。その後、2号機以下が順次営業運転を開始し、6号機は、19735月に着工して、19793月に営業運転を開始している。

石炭産業と原子力
常磐地域は、幕末以来の産炭地であった。採炭が最盛期だった
1961年には42の炭鉱で年間総計248万トンの出炭を記録している。しかし、1969年になると、3炭鉱で215万トンにとどまり、実際は2坑口からの生産で大半を占め、中小炭鉱はほぼ消滅していった。常磐炭の需要確保のため、常磐共同火力発電所が設立され、1971年当時で72kWの総出力だったが、関係者のあいだでは、近い将来に石炭関連産業が限界を迎えると考えられていた。
1958
年には東電による原子力発電所の立地調査が始まり、福島県より19605月に正式に誘致の申入れが行われた。
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号機が建てられている大熊町の敷地は、元々は、軍(陸軍か海軍かは不明)の「長者ヶ原飛行場跡地」であった。第二次大戦後、この土地は民間に払い下げられて、一時は国土計画興業が塩田として広大な敷地を所有していたが、原発立地の調査が開始された時点では、すでに廃業していた。残りの予定地も民有地だったが、一部が農地として使用されていた程度で、ほとんどは山林原野のままであった。東京電力は調査を進めつつ、1964年に入ると用地買収交渉を開始、二期にわたった約96万坪、320万平方メートルを買収。用地取得に要した価格は約5億円で、この他に社宅その他の用地として約8万平方メートルを買収した。

なぜ堀り崩して低くしたのか

「福島原子力発電所の計画に関する一考察」(小林健三郎)『土木施工』19717pp.121-122より
発電所敷地の地盤高は、波浪および津波などに対する防災的な配慮とともに、原子炉および発電機建屋出入口の高さ、敷地造成費、基礎費、復水器冷却水の揚水電力料などがもっとも合理的で、しかも経済的となるように決定する必要がある。当地点付近の高極潮位は小名浜港において
O.P.+3.122m(チリ地震津波)であるので、潮位差を加えても防災面からの敷地地盤高はO.P.+4.000mで十分である。
一方、地質条件より原子炉建屋の基礎地盤高を
O.P.-4.0m(復水器天端高O.P.+9.8m)と決めたため、原子炉建屋の出入口との関係からみると、発電所敷地地盤高は1号機ではO.P.+10.0mが好ましく、2号機以降分は基礎地盤高を調整すれば、この地盤高に原子炉建屋の出入口を揃えることができる。
次に
170m×460mの陸上部の敷地造成に必要な掘削費、O.P.-4mの基礎地盤までの建物基礎掘削費および勾配1/20、幅員9.5mの進入道路の掘削費の合計額が最経済的となる敷地地盤高を求めた結果は図-8[12]の通りとなり、この結果からもO.P.+10m付近が最低値となることが明らかとなった。
以上の結果により、陸上部の敷地地盤高を
O.P.+10mと決定し、埋立部のポンプ室付近地盤高はO.P.+4.0mとした。

上記の文章は、第一原発が操業開始した時代の土木専門誌の記事だが、わざわざ本来の地盤を標高10m程度まで掘り下げた根拠が端的に示されている。つまり最低限の防災対策を考え、もっともコストが低減できる施工法を選択した、というのである。

 

 







 

 


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2012/11/8


東北地方太平洋沖地震
2011年3月11日14時46分18.1秒 に発生した東北地方太平洋沖地震は、牡鹿半島の東南東沖約130km付近の海底下約24kmが震源となった。この地点は太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域で、水深7000mに達する日本海溝になっている。こうした地域で発生する地震を海溝型地震といい、きわめて大きな規模になることが多い。震源域は、岩手県沖から茨城県沖の海岸線にほぼ並行して、幅約200km、長さ約500kmの広範囲にわたる。地震の規模を示すマグニチュード(モーメントマグニチュード=Mw)9.0は、大正関東地震(1923年)の7.9や昭和三陸地震(1933年)の8.4を上回り、日本での観測史上最大である。同時に、世界的にもスマトラ島沖地震(2004年、モーメントマグニチュード9.1)以来の規模で、1900年以降では1952年のカムチャツカ地震と並び、60年のチリ地震(Mw9.5)、64年のアラスカ地震(Mw9.2)、2004年スマトラ沖地震(Mw9.1)に次ぐ4番目に大きな巨大地震であった。
陸地での最大震度は、宮城県栗原市で観測された震度7 だったが、この地震に特異なのは、地盤の揺れによる被害が阪神淡路大震災などと比べて大きくはなかったにもかかわらず、津波による被害が極めて大きかったことである。

東北地方太平洋沖地震の特徴
この地震によって発生した津波は、日本気象協会の推定では、陸地に達する前の津波高 が、岩手県宮古市から福島県相馬市までの沿岸で約8-9m、比較的海岸に近い陸上の浸水高は、痕跡などから推定して、三陸海岸で10-15m前後、仙台湾岸の高所で8-9m前後としている。また目撃談や現地の実地検証から、陸前高田市、南三陸町、宮古市などでは建物の4、5階まで浸水したので、推定で13m以上の津波高に達していたと考えられる。津波の溯上高(斜面を駆け上がった高さ)は、三陸海岸で30m以上、最大規模の遡上高は、岩手県大船渡市の綾里湾で40.1mと、同じ綾里地区で明治三陸地震で観測された38.2mを超えて、国内観測史上最大となった。
現地調査から東京大学地震研究所の都司嘉宣准教授らが推定したところによると、宮城県女川町の笠貝島では溯上高が43mにも達していた可能性があるという。東京大学大学院教授の佐藤愼司氏(海岸工学)らと福島県との共同調査が2012年2月に行われたが、福島県の原発事故による警戒区域内での津波は、富岡町小浜で、最大21.1mに達していた。
宮城県女川町では、鉄筋コンクリート造のビルが、基礎部分が地面から抜けて横倒しになった。このような例は世界的にも報告がなく、町はビルを被害資料として保存することにしている。
地震発生後に気象庁は、発生した地震は単独ではなく、3つの地震が連動したものだとの解析結果を発表した。会見の中で 同庁地震予知情報課の課長は、「今回の地震は5分前後をかけて連続して発生した、複雑な過程を辿っている」としている。このような事例は極めてまれで、「気象庁の観測の歴史でも初めて」と述べた。文部科学省の地震調査委員会は、翌13日に臨時会を開き、「破壊断層は少なくとも4つの震源域で3つの地震が連動して発生した」という見解を発表した。震源域の中で強い地震波を放出した点は大きく震源の東側付近と茨城県沖の2つに分かれ、連動型地震特有の長く複雑な破壊過程を辿った。プレート境界の浅い部分が2度にわたって破壊したため2つのピークを持つ大津波を生じている。

観測された津波
東大地震研究所は、釜石港の東に2つのケーブル式海底水圧計を設置している。沖側のTM1は海岸から約70km、水深約1600mに、陸寄りにはTM2が海岸から約40km、水深約1000mの地点に設置されている。約30kmの距離を隔てた両地点を伝わる津波の速度は、水深1000mだったとすると、前回紹介した式で100m/s、分速にして6kmなので、ほぼ5分かかってTM1からTM2に到達することになる。
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/#kamaishimeter
地震の発生から3秒間は、比較的浅い、海底下約24kmの海溝側で緩やかな初期破壊が起こり、約40秒かけて深部(約40kmまで)に破壊が進行していき、短周期の地震波により陸上の激しい揺れをもたらした。続いて発生から60-75秒後にかけて浅い海溝付近でダイナミックオーバーシュート(dynamic overshoot、動的過剰滑り)と呼ばれる長周期の地震波と大規模な津波を発生させた。その後、再び深部へ破壊が伝播し、最初の地震発生から約90秒後にかけて短周期の地震波により再度陸上の激しい揺れをもたらした。大きな破壊は100秒後までに止むが、地震動自体は発生から約150秒間にわたって継続する。
大洋側から押し寄せるプレートが陸側のプレートを引きずり込みながら沈み込んでいくが、限界を超えると、境界面が滑って地震を引き起こす。ダイナミックオーバーシュートとは、境界面の滑りが蓄積された歪を超える滑りで、つまり引きずり込まれたプレートが戻りすぎる現象である。これによって強大な津波の発生メカニズムが説明できる。
また、海底に存在する活断層や約100万年前に日本海溝から北米プレートの下に沈み込んだ海山が通常なら大きな歪みエネルギーを蓄積することなく起きるはずの滑りを阻害して、長期間にわたって巨大なエネルギーを蓄積している可能性も指摘されている。この地域のプレート境界は元来摩擦が少なく固着しにくいため、巨大地震は起きにくいと考えられてきた。それにもかかわらずM9規模の超巨大地震が発生した原因は、これまで不明となっていたが、この海山が留め金となっていた可能性もあるという。
2004年12月26日 に発生したスマトラ沖地震でも、巨大な津波によって死者・行方不明者およそ23万人に達した。しかし、このとき沖合で発生した津波の高さを地球観測衛星の画像を元に解析した結果、1mにも達していなかったことが判明した。対して、今回の地震ではTN1、TM2ともほぼ4mの津波高を観測している。








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2012/7/11


津波という名の起源
「つなみ(津浪あるいは津波)」が用語として最初に記されたのは、意外と新しく、江戸時代の初めといわれる。『駿府記』という古文書に、慶長16年10月28日(1611年12月2日)に発生した慶長三陸地震についての記述があり、伊達藩領内で、溺死者五千人を出した現象に対して「津浪」と表記している。いずれも読みは「つなみ」だが、古くは「海立」、「震汐」、「海嘯(かいしょう)」などの表記も使われた。つまり音声での「つなみ」は表記が固定するよりも古くから存在していた。
tunamiの語源は日本語なのだが、現在は国際的にも使われる。
津波は、海底域の地震によって発生するものが一般的だが、ほかに地滑り、海底火山の噴火、隕石の落下、氷河の崩落などによっても発生する。
中国語圏では現在でも一般的には「海嘯」と表記しているというが、「海溢」「海漲」という表現もあるようだ。嘯の本来の意味は、満ち潮が波となって河川を逆流する現象(tidal bore)のことである。海嘯は、河口が大きく三角形に開いている大きな河川で、大潮の時期に満潮にさしかかると、海水面が河川の水位より高くなって逆流が始まり、遡上にしたがって河川の幅が狭くなるため、水位が上昇する現象のことである。ブラジルのアマゾン川の「ポロロッカ」、中国の銭塘江、イギリスのセヴァーン川などで起きることが知られている。英語圏では津波のことを古くはtidal wave と表現してきたが、月の引力による潮汐現象と区別できないため、研究者の間ではseismic sea wave(地震性海洋波)と呼ばれるようになった。
英語圏の文献に、Tsunamiという語が使われた最初の例は、『ナショナルジオグラフィックマガジン』の1896年9月号で、明治三陸地震津波を報じた記事とされている。
海底域で発生した地震によって海底の地形が急速に変化した際に、大規模な海水の動きによって発生する地震性の津波に対して、1946年4月1日に発生したアリューシャン地震に伴う津波がハワイに到達して大被害が出た際に、日系移民が tsunami と表現したため、アメリカ本土でもこの語が広く用いられるようになり、1968年にアメリカの海洋学者ヴァン・ドーンが学術用語として使うことを提案して、国際語として定着していった。

発生のメカニズム
「津」とは港、船泊(ふなどまり)のことで、地形的には湾を示している。海底で発生した地震に伴って海底面が隆起または沈降すると、海水を大きく持ち上げたり引き下げたりして高波を生じ、波動として広がっていくのが津波である。
津波の進行速度は、波長が発生域の水深に比べて十分に大きければ、重力加速度と水深の積を平方根で開いた値になる。
v(津波の進行速度m/s)、g(重力加速度m/s2)、h(水深m)とすると、

例えば水深4000mの海底で発生した津波は9.8×4000の平方根で秒速 約200mとなり、時速にすると700km超と、ジェット旅客機並みの速度で進行する。津波が沖合から陸地に近づくに連れて、水深が浅くなるので進行速度は遅くなっていくが、後方から次々と波が押し寄せるため、波高は高さを増していく。しかも、高波が湾口に到達して進行すると、流路の幅が急速に狭まっていくことや岸で反射してきた波が複雑に重なり合って、波高がさらに増す。震源域からの距離がほぼ同じで、湾口の水深が同じ、つまり湾口に到達した際の波高が同じでも、津波が到達した地域の地形によって、波の高さは異なっていく。
海に向かって半島が突き出していて、浅瀬が海底に続いているような地形では、津波の高さが増す。
東北地方太平洋沖地震の場合、最初の震源は、牡鹿半島の東南東約130km付近の三陸沖の海底から深さ約24kmの地点で、この辺りの水深は7000mを超える。太平洋の水深は平均すると、4000mと言われるので、震源域は相当な深海なのだが、波長は震源の長さにほぼ等しくなるから、水深に比べて「十分に大きい」ということができる。
東北大学の今村文彦教授は、NHKによる仙台市若林区での津波の映像を分析した結果、津波の進行速度は、海岸から1kmの内陸で秒速約6m(時速約22km)以上であったとした。

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2012/3/13


好々爺風のご老人は
2012年2月27日の新聞(朝日、読売など)が伝えるところでは、経団連の米倉会長は次 のような発言をしている。「(東電の)経営態度はちゃんとしている。事故は経営問題で起きたのではなく、大災害(地震、津波)で引き起こされた」。「経営問題」とはいったい何を指しているのかはっきりしないが、一瞬わが耳を疑いたくなるような内容である。発災直後に聞かれた「想定外だ」「地震ではなく、大津波で受けた被害だ」などという東電側周辺から発せられた声は、さすがに世間からの糾弾を浴びて後景に引っ込んだ感がある。しかし、あの大災害から1年しか経っていないというのに、まだこのような発言を繰り返している御仁がいるかと思うと、唖然とするばかりである。飲み屋で初老のサラリーマンが集まって口走っているのならまだしも許容されるだろうが、日本の大企業経営者団体のトップと見なされる人物である。国内は固より海外にも配信される発言である。大事故を引き起こした張本人に対して、何らの批判もせず手放しで賞賛するというのは困ったものである。
さらにこの好々爺風のご老人は、「1000年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」(北海道新聞2011年 03月17日 など)と従来の原子力行政を賞賛している。何が耐えているのか、全交流電源喪失から炉心溶融、水素爆発で大量の放射性物質を撒き散らかしても、原爆の炸裂よりはまし、とでもいいたいのだろうか。

浜岡原発が危険なのは自明
さらにこのご老人は、 2011年5月9日の記者会見で、菅首相の浜岡原子力発電所の停止要請について「結論だけがぽろっと出てきて、思考の過程がまったくブラックボックスに なっている。民主党政権は透明性というが、どういうことか政治の態度を疑う」と批判した。「思考の過程」を問題にするような事項ではない。日本中どこでも 地震と津波の危険性があり、そもそも国内に原発を建設して安全なところなどない、という主張もあるが、中でも浜岡原発は、飛び抜けて危険度の高い場所に立地している。
日本列島周辺では4つのプレートが押し合っているが、フィリピン海プレートは年間平均で4.5cmの速度で日本列島に向かって移動して大陸から延びるユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。この2つのプレートが接触している境界面が南海トラフと呼ばれる海溝で、伊豆半島の西から四国沖に延びる。このうち北東端の駿河湾にあるのが駿河トラフである。つまり浜岡原発は、プレート境界を眼下にする位置に建っている。
ここでは7世紀以降10回以上のマグニチュード8クラスの地震の発生が記録されている。その周期は、100-150年程度で、15世紀以降に発生した、明応東海地震(1498年)、慶長地震(1605年)、宝永地震(1707年)、安政東海地震(1854年)の平均間隔は118.8年となる。
周期的に巨大地震が直下で発生する地域で、しかも耐震設計が過小である、という設計に関わった本人の指摘が以下のサイトにある。
http://www.mynewsjapan.com/reports/249#estimate

東海地震がいつ発生してもおかしくない、という話は10年ほど前に以下に書いた。
http://homepage3.nifty.com/ishii-k/documents/TRIGGER/TRIGGER0201.html

さらに最近では東海地震の震源域に隣接する東南海、さらにその先に続く南海の各震源域が連動して巨大な地震を発生する可能性まで指摘されている。浜岡の原発を停止することが急務である理由はこうした概略だけで十分で、「思考の過程」を問う前にほんの少しでも考えた方がよいのは発言者本人ではないか。
当時の菅直人首相の「発送電分離」の議論が必要という発言に対しては、「動機が(原発事故の)賠償問題にからみ不純だと思う」(2011年05月23日ロイターなど)と発言。「東電は(大型の地震と津波による)被災者の側面もあり、政府が東電を加害者扱いばかりするのはいかがか」と弁護するに至っては、見当違いの発言もそろそろ終演にしたほうがいいのでは。

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