(今日のこの記事は、文章がバラバラだったりまとまりがないのをお許しください。
感想を述べるにはまとめるのが無理だからです。)
やっと会えました。
12年前、脳幹出血で死の覚悟をも迫られた友人・三宅さんにお会いできました。
「Rickenbacker12弦ギター物語」で書いた、その三宅さんです。
http://music.ap.teacup.com/harri2/515.html
Facebookメッセンジャーのメールを介して連絡をもらってから、
「一度遊びに来ませんか?」
とのこと。
奥さんの小百合さんが、三宅さんと同じしょうがいを持つ方、あるいは身内にしょうがいを持つ方、等々の仲間のオフ会「Sally's Bar」(←Sallyとは、奥さんの愛称)を定例で開いており、食事やお酒を振舞われて盛り上がっている会にお呼ばれしました。
日曜日だったので、移動販売の手伝いを終えて家を出るのが17時頃、その頃はオフ会で既に「出来上がっているかも」とのことでしたが、そんなことよりも三宅さん、生きている三宅さんに会いたい一心で向かいました。
いざ向かうというその時から涙腺は緩んでおりました。
出会ってから今までのことをずっと思い巡らしては、何を話そうかグルグル思考を巡らせていました。
玄関を開けると、奥さんの小百合さんが迎えてくれて、ハグしてくれました。
こちらもすぐさま同じ反応。
もう胸がいっぱいでした。
そして、リビングに卓を広げてその一番奥に三宅さん。
回りにオフ会メンバーが見ているにも関わらず、すぐさまハグしてしばらく号泣してました。
三宅さんが生きていてくれた。
しかもこんなに元気に。
その思いしかありませんでした。感無量です。
以前、彼が倒れてから本人の作曲をCDにするため、歌は代わりに小百合さんが歌い、私が楽器全般を担当し、その後も以前活動していた音源のコンピレーションアルバムを作ったり、その頃から本人の言葉を代筆したライナーノーツを見たときは、昔と何ら代わりはなく、理路整然とした文章も間違いなく三宅さんの言霊でした。
そんなことよりも、やはり血の通った、生身の三宅さんそのものに会えたという嬉しさでした。
しょうがいは持っていても、発する言葉、思想、それは三宅さんに変わりはありません。
本人は、人にCD製作の手伝いをさせていながらも人には会いたがらなかった。
それで今までに至ってます。
でも、小百合さんから聞いた今までの闘病生活の話の中でその理由を見つけたので、とても納得した。
来しなに「私のステージを見せたいけど、そこまでたどり着くのにどれだけ移動に大変なのかな?」とか、「あのライヴハウスは2階だけど、そこまで段差がいくつもあるから大変だろうな」とか、「最寄りの駅はかなりバリアフリー化されているけど、三宅さんはどうなのかな?」とか、色々思考を巡らすも、小百合さんはそんな私のちっぽけな発想なんかよりも遥かに上を考えておられました。
そんなことは当然かも知れないが、実際経験しなければわからないことだし、現実としっかり向き合っているからこそ小百合さんの考えがあるのだな、とも思いました。
とはいっても、まだまだ自分はわかっていない部分がたくさんあると思います。
三宅さんはもうお酒もたばこもガンガンやってました。
そんな三宅さんに12年ぶりに会ったけど、話を初めてみれば二人とも昔とちっとも変っていない。
というか、あの頃の「三宅さん」と「海藤君」のままだ。
知り合った25年前は、しょっちゅう三宅さんのアパートに遊びに行っては、夜中じゅう楽器の話や音楽の話、ファッションの話、諸々いつも盛り上がっていました。
車で楽器屋や古着屋巡りもしたし。
三宅さんに教わったことのほうが多いですけどね。
悩んだり困ったりすれば、必ず話を聞いてくれて相談にものってくれたし。
あの頃の三宅さんと過ごした時間は、今の自分の血肉になっていることは間違いありません。
三宅さんの住んでいたアパートの名前が
目黒区三田にあった「おもと荘」
その「おもと荘」には、たくさんの思い出がありました。
その「おもと荘」を三宅さんが離れたのも、倒れたのがきっかけでした。
今は、墨田区鐘ヶ淵に住んでいますが、その場所こそ
「おもと荘」そのものです。
あの頃の空気感が、そっくりそのまま今の住まいにもまるまる残っているからです。
それこそ今は弾けないが、ギターだって数本あの当時と同じように飾ってある。
今にも、ひょいとギターをつかんでガツガツ弾きだしそうな雰囲気たっぷりでした。
場所が、目黒から墨田に変わっただけの話です。
慰めにいくつもりが、そんな必要は全くなく、むしろ自分がもっとしっかりせねばというくらい逆に励まされパワーをもらいました。
やっぱり三宅さんの住んでいるところは「おもと荘」なのだなあ。
この時オフ会に参加されていた方々にも、とても強いパワーを感じました。
自分達健常者が、もっとしっかりせねばならんよ。
それでもって、皆さんとても温かな人ばかり。
いろいろ話をしていくうちに、Rickenbacker450-12が取り持つ二人の縁でありながらも、時系列で追っていてもどうも「運命のつながり」を感じずにはいられません。
この話を書きだしたらきりがないのです。
説得力はありませんが、説明しきれないくらいの強いつながりがあるからです。
偶然にしては出来過ぎなくらい。
私がクリスチャンになったのも、三宅さんが倒れたのも。
これ以上はここには書きません。
今もまたメールのやりとりをしていますが、この会っていない12年の間にもその「つながり」を感じます。
だって、二人で同じことを考えていたのですから。
会ってもないし話してもいないのに。
そして、まさしく自分がいつも考えていることを、三宅さんも話してくれた。
「海藤君だって、この家のドアを開けて出て行ったら海藤君の身に何が起こるかわからないんだ。
いつ死ぬかなんて誰もわかりっこない」
〜だから〜
今何をすべきか。
今できることをやること。
そんな三宅さんだから、会えて嬉しかったです。
ありがとう、三宅さん&小百合さん!!
これからも宜しくお願いします。

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