父の代から30年以上も続けてきた、マート城山都内移動販売が、先日諸般の事情により12/24付を以て終了しました。
今までご利用くださった皆様、応援にかけつけてくださった私の友人の皆様、本当にありがとうございました。
私は2014年2月頃から、ほぼ毎週兄の手伝いをしてきました。
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自営業の楽しさと苦労、ほんのひとかじりにしか過ぎませんが兄の仕事を間近で体験することによって垣間見ることができました。
父がこの移動販売を始めたのは、それまでは廃品回収(「ちり紙交換」…廃品を回収させてもらったお礼として、そのお客さんにちり紙を渡していたことからこう呼ばれておりました)をしていて、それが都内の固定のお客さんとつながるようになり、それから事業を青果販売に転換してから、今までの「ちり紙交換」のお客さんをたどって販売するようになったのがきっかけと聞いております。
昭和54年に、家を改築し今の「マート城山」を開店させました。
コンビニエンスストアのはしりでもありました。
当時は、食料品だけでなく日用品・雑貨も置いておりました。
移動販売は、そこから日曜日限定になり、新宿区若松町〜港区赤坂・乃木坂〜港区青山〜と、私も学生の頃特に暮れの繁忙期などは手伝いに行きました。
2トン車と、1.5トン車2台に青果を満載し、それが空になって帰って来ることは通常でした。
兄の友人も手伝いに来てくれて、早朝から夜遅くまでよく手伝って頂いたのを覚えています。
今は亡きパーカッショニストのSさん、トラックを居眠り運転していて助手席でビビったことも思い出です。
都心には、高級スーパーがあっても品質が悪い、高価、遠い…等々、住民にとっての悩みを移動販売によって解消するといった需要から、当時から重宝がられていたようです。
それは今でも変わらないようです。
当然、それを狙って競合の移動販売の商店も来られていたようです。
自分が社会人になり、その仕事で手いっぱい…のふりをして、あまりお店のことには関心を寄せていなかったことも否めません。
「普段、会社勤めしているのに、休みになって何で家の仕事をしなければならないの?」
という、若さ故の了見の狭さに恥ずかしさを今更ながら覚えます。
特に、父に対しては反発することも多かったから。
父は父で、その頃は埼玉や茨城の農家を廻っては農協に出せない規格外の果物を、1パレットあたり値決めをして安く仕入れ、それを外食チェーン店や仲間の移動販売の連中に販売していたこともあり、その手伝いはしていました。
兄は、その移動販売も父から引継ぎ、乃木坂〜赤坂に絞って継続してきました。
父の時代からの、古いお客さんもいらっしゃいました。
古いお客さん、新しい固定のお客さん皆さんが共通して口ぐちにされるのは
「やっぱりマートさんの野菜や果物でないと。スーパーや他の店ではもう買えない」
これは、もう言わずもがなですね。
あえてもう書きませんけど。
こんなコメントを頂く事ってすごいなあと思ったし、とてもありがたいことでもあります。
真摯に商売をしてきたからでしょう。
そんな、家の稼業に少しでも手伝うようになったのがこの数年です。
そのきっかけは、やはり息子のことや兄の怪我のことがなければ、もしかしたら手伝うこともなかったのかな?とも思いました。
そんな自分をも反省します。
数十年ぶりに、家の仕事の手伝いをするようになり、やはり父や兄の功績は大きいものと改めて感じました。
これだけ根強いファンが沢山いたこと、仕入れに目利きが必要なこと、それも今までの経験を重ねてできること…感心したことは沢山あります。
3年前から手伝いをしてきて、移動販売の場所も3回変わりました。
乃木坂公園の一角⇒向かいのマンションのエントランス⇒赤坂新坂マンションのエントランス…
どれも、お客さんの口利きなしでは継続できませんでした。
乃木坂公園が、大型マンション建設地でなくなるのがわかり、向かいのマンションのお客さんがそこの管理事務所に許可を得てもらってそのエントランスをお借りすることができました。
その頃に買いにきてくださった、新坂マンションの方がそこでも移動販売をしてほしいとの要望で、しばらくは2箇所の移動販売をしておりましたが、最初のマンションの他の住民からクレームがつきその場所は撤退。
今の新坂マンション1箇所のみとなりました。
夏の暑い日、差し入れにアイスや冷たい飲み物を頂いたり、寒い日には温かいコーヒーやスナック類を頂いたり。皆さん優しい方ばかりでした。
もちろん、良いお客さんだけではありません。
どこにでもいるような、いわゆる「クレーマー」もいました。
「先週買ったみかんは、半分はダメだった」
「この間買った○○、切ったら中が傷んでいた」
みかんや果物は、保管状態如何で傷みの進行度合いはまちまちです。
しかも、こちらも一個ずつみて袋に詰めてますから。
切ったら傷んでいたのは、中まではチェックできません。
あくまで「なまもの」ですから、どこまで傷んでいたのか、あまりひどければ写真にとるか現物をもってきてください。
だいたいクレームをつけてくる人は決まっていました。
その人が来たら、こちらも警戒します。
今まで大きなトラブルもなく、移動販売ができたのもその場所の皆さんのおかげです。
定期のお客さんの販売は、事前のご注文をゆうパックで配送に切替えさせて頂くことになりました。
最後の移動販売の様子です。

まず1軒目の配達で伺っていた、聖パウロ女子修道院。
その中の一部の食事で出される食材として、毎週ご注文を頂きお届けしていました。
配達に行くと、必ずサンドイッチとお茶を用意してくださって、またイースターやクリスマスの時はカードとケーキをプレゼントしてくださいました。
修道院も高齢化が進んでいるようで、この先が案じられます。

新坂マンションのエントランスです。
ここで2015年から販売させて頂いておりました。
隣にカンボジア大使館があって、そこからも買いに来られるお客さんもおられました。
すいかの大好きな女の子(推定20代の学生)がいつも
「Do you have any watermelon,today?」(今日はすいかはありますか?)
と、季節関係なく問合せしてくれました(笑)。
最初、この「watermelon」の発音が聴き取れなくて、何を欲しがっているのか理解に時間がかかりました。
移動販売も、英検やTOEICのレベルを上げないと出来ない時代だと認識しました。
アメリカ人の家族も時々買いに来てくれました。
外国人の方々は、必ず産地をチェックします。
関東以北のものは絶対買いません。放射能の影響を未だに危惧しているからです。
その家族は、旦那さんがアメリカ人、奥さんが日本人、奥さんの方がそれに関して厳しかったようです。
もう安全なのにナーバスになっているのか、それとも日本人が疎いのか…
その家族には小学生の女の子が二人、ブロンズの可愛い子達でした。
夏になると販売するフルーツゼリーと、お煎餅やポン菓子が大好きで、並べるのを見つけると必ずお父さんにせがんで買っていました。
新坂で始めた頃から、周りにお住まいのお客さんもお得意さんが沢山いらっしゃいます。
今年小学校に上った「かれんちゃん」もマート城山のファンで、その子はトマトが大好きで、いつもミニトマトを沢山買っていきました。
最後の日は、兄と息子のNeoと3人で来る旨を伝えていたら、ちゃんとそのことを覚えていてくれて、3人分の「お手紙」とプレゼントを頂きました。
お手紙はそれぞれ違うコメントが書き寄せられ、私が頂いたのはコレでした↓
一番最後に買いにきてくださったのは、一番古いお客さんとその方をフォローすべく、その前のマンションで口利きをしてくださった方でした。
そして、そのお客さんのところに配達に行った際、ふかぶかと頭を下げられ
「今まで本当にありがとうございました」
とお礼を言われた時、熱いものがこみあげ、言葉になりませんでした。
来年からは、また新しい体制を兄が考えているようですが、また販売を再開するようになれば皆さんとお会いできるでしょうかね。
改めて、本当にありがとうございました。

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