ん゛ごぉぉぉおおお〜ガリガリガリガリ〜ギリギリギリギリ〜
だたん〜どとん〜だったん〜どっとん〜だっ〜たん〜どっ〜とん〜ぷしゅ〜っ
「荒川車庫前、荒川車庫前、終点です。どなたさまもお忘れ物、落し物なさいませんようご注意ください。毎度ご乗車ありがとうございました。」
チンチン〜
あ〜どもども、お疲れ様です〜。
ワシは、都電7000形7022号です。
昭和30年から60年以上、この都電で働かせてもらい、いよいよこの春で引退するんだよ。
何でも、電車の車歴っつもんは、人間の歳に換算すると、その倍の年齢にあたるそうだな。
だから、このワシは人間の歳で数えると、120歳になるそうだな。
そりゃ、ワシも歳をとるわけだ。
そう、そこの白髪のおじさん・・・
お〜お〜、確か荒川線になる直前くらいから、よく都電に遊びにきてくれた、利文君かい?
覚えてるぞ、巨人の野球帽をかぶって、あの頃流行ったポケットカメラでワシらをよく撮りにきてくれてたよなぁ。
ここ最近も、おまえさんの友達をひきつれて何度かツアーとかやってたよな?
小さい頃に好きになったものは、大人になっても好きなものには変わらないもんなぁ。
このワシは、都電がまだ都内を縦横無尽に活躍していた頃から頑張ってきたんだ。
銀座、品川、上野、新宿、二重橋、東京駅、門前仲町、勝鬨橋・・・
当時の皇太子殿下御成婚、オリンピック、オイルショック・・・
高度経済成長につれ、車が道にあふれ、ワシら都電は運行効率の低下による赤字の連続、ついには併用軌道運行の廃止に追いやられ、難を逃れた専用軌道の27系統と32系統の早稲田〜三ノ輪橋だけ残されて、今のワシらの活躍の場となったわけだ。
その2系統も「都電荒川線」となって統合され、そして昭和52年にはワンマン運行を開始したんだ。
その時も、利文君は友達を連れて記念撮影をしていたよなあ。
ワシらも改造を受けて新しい体になったんだな。
でも、利文君は、ワシらの先輩の6000形のほうが好きなようだったから、あまりワシらの写真は撮っておらんかっただろ?
でもまあ、それでも時々遊びにきてくれたのは嬉しかったよ。
ワシらの仲間で、豊橋に赴任した奴らもおって、そいつらはまだまだ現役で頑張っているそうだよ。
本当は、ワシらだってまだまだ働けるのだが、どうも「お上」は合理的にしかものを考えんようで、ワシらのメンテにまで費用かけたくないのだろうな。
電車好きのおまえらは、みんなワシらの廃車に反対してくれていて、それは嬉しいが、お上が決めたことには、どうにも手下の人間どもが逆らえんようだ。
「都電アピールプロジェクト」とかいって、ワシらの仲間で体だけ流用されて、足回りだけを新しくしたのが7両くらいいるが、電車っつうもんは、釣り掛けに限るぞ。
・・・と言っても、今の若い奴らには通じんがね。
まあ、とはいっても遅かれ早かれ、ワシらもいつかは「その時」がくるわけだが、それが「今その時」なんだろうな。
利文君のおふくろさんだって言ってただろ?
「かたちあるものは、いつかはこわれる」ってな。
そのことだよ。
お客さんを乗せてる途中でポンコツになって、お客さんに迷惑をかけるわけにもいかんだろうしよ。
そんなわけで、あとは後輩の8500、8800、8900、9001、9002、7700に任せて、ワシらはもう休ませてもらうよ。
2系統の頃に比べると、ワシらの後輩もなんだか賑やかになったもんだな。
そんなわけで、利文君、ありがとうな。
・・・そんな声が聴こえた、都電7000形引退でした。
こちらこそ、ありがとう。7000形。お疲れ様でした。

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