4/30レッドライオン同窓会ライブ  4/30ライブ
「レッドライオン
   同窓会ライブ」



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 1998年4月より2000年8月まで大阪の十三から、
あらゆるジャンルのライブを発信した
伝説のライブハウス「RED LION-レッドライオン-」!
閉店より12年、レッドライオンと同じ場所に誕生した
「シアターセブン」で当時のミュージシャン出演者が大集結。シャンソンから弾き語り、民族楽器までゴールデンウイークの丸一日、みんなで同窓会ライブを行います。
そして、今回のスペシャルコーナーは東京よりフォークシンガーの大御所、三上寛をゲストに。
さらにレッドライオンで結成してレッドライオンで解散した幻のユニット、「音やかん」がこの日限り復活します。
 ゲストに今は東京で大活躍している大阪出身のヴァイオリニスト平松加奈を「音やかん」でフィーチャーします。
 その当時お客様だったアナタ、レッドライオンを名前でしか聞いたことのアナタ、是非たくさんのみなさん、「同窓会」にご参加下さい。お待ちしております。

会場 十三シアターセブン
   [大阪市淀川区十三本町1-7-27サンポードシティ5階 阪急電車十三駅西口徒歩5分]

開場予定 10:30 開演予定 11:00 終演予定 22:00
ライブ同窓会会費 前売2500円 当日2800円 
+別途1ドリンク フリーパス出入り自由制
手作りフード 販売します。 担当 ネリkitchen
   
<問・電話・メール予約>TEL:06-4862-7733
メール:ticket@theater-seven.com
[メールの場合 タイトルに「RED LION」とお書きの上、お名前、電話番号、メールアドレス、
人数 をお送りください。予約受付が完了次第、返信いたします]

シアターセブンHP http://www.theater-seven.com/
企画・問い合わせ オレペコ企画 
http//www.orepeko.com/ 

RED LION 同窓会ライブ 出演者 時間割予定

11:00〜11:20  LEO
11:20〜11:40  JAN
11:40〜12:00   米田みちのぶ
12:00〜12:20  月 陽
12:20〜12:50  井口善夫/鮫島まさみ&井口善夫
12:50〜13:10   ナガオクミ&吉田幸生
13:10〜13:30   島田篤

13:40〜14:15   三上寛

14:30〜14:50   天の羊
14:50〜15:10   西沢和弥
15:10〜15:30   呉ひとし 
15:30〜15:50   岸部眞明
15:50〜16:10   山口智
16:10〜16:30   石川まぎ
16:30〜16:50   川崎洋子&岩田晶&西野欣哉
(平松加奈)
17:00〜17:20   田中峰彦&岩田晶(平松加奈)
17:20〜17:40   松井恵子&藤森るー&平松加奈
17:40〜18:00   たてべともこ(船戸博史・平松加奈)

18:00〜18:30  ふちがみとふなと 
18:30〜18:50  福 人/華乃家ケイ&福人 
18:50〜19:10  光 玄

19:10〜19:30  (おたのしみ)

19:30〜19:50  須山公美子
19:50〜20:10  海江田文
20:10〜20:30  藤井レイ子
20:30〜20:50  森本理子
20:50〜21:10  シモーヌ深雪
21:10〜22:00  平松加奈フィーチャーリング・音やかん
        【吉田幸生 船戸博史  西野欣哉 
          平松加奈 田村賢一】 
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2012/4/30  0:25

スタッフPA  井上利夫  
井上利夫(いのうえとしお)
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1964年生まれ。河内長野出身。大阪狭山在住。

今回のライブのメインPA!

大阪を中心にLive-PA、Recording、デザイン、印刷ほか アーティストのサポート専門。(ボランティアです)
大阪狭山市の中高生の舞台活動「表現倶楽部 うどぃ」のスタッフです。
「表現倶楽部 うどぃ」では、「ぎんさん」というニックネームで呼ばれています。
子どもの通ってた小学校のおやじの会や
中学校のPTA役員など 南大阪中心にボチボチな日々を送っています。
5/3.4.5中ノ島まつり内で「Acoustic's」という ストリートステージを毎年展開しています。
http://www.geocities.jp/watabatake2000/

日記は、goo Blogっす 。(携帯からも見れます。)
http://blog.goo.ne.jp/watabatake/

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三上寛でつながり、仲良くなった某ミュージシャンのライブの会場を探してた時

出逢ったのが中津「ミノヤホール」。当時は1990年。

そのミノヤホールを、おまえやれへんかといってくれたのが

井上さんだった。

それでミノヤホールに入り、泥沼の人生を送ることとなる。

泥沼から蓮を咲かせるのを目標にがんばった、この20年以上。

井上さんが声をかけてくれてなかったら

ライブハウス人生などなかったかもしれない。

音楽とのつきあい方が半端ではないこの人。

純粋に音楽を愛すことのできる、綺麗な心の持ち主。

PAもこの人に教わりました。でも技巧的なことは教わっていません。

多分ずーっと一生この人の心意気を

真似ているだけのぼくなんやろうな。

ミノヤホール時代はよく喧嘩もした。

でも、今考えたら、非常識千万なのはぼくのほうであった。

お互い若かった。若さ故の衝突?

でも井上さんは大人です。

はい、ずーっと尊敬しています。

井上さん 今回はPA引き受けてくれて、すごく嬉しいよ。

また当時みたいにぼくを叱ってやって下さい。ありがとう!
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2012/4/29  23:36

キャスト29 岩田晶  出演者への思い
岩田晶(いわたしょう)
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ベーシスト。1959年和歌山生まれ。箕面の山奥在住。奥様は石川まぎ。
jazzをメインに世界中の音楽を演奏する。
原体験がビートルズであるため、幼少の頃から色々な音楽にオープンマインドで受け入れる感覚を身に付けた。ブラジル音楽、ジャズ、インド音楽、ポルトガル音楽、ハワイアン、サルサ、ブルース、ロック、クラッシック、中国音楽、インドネシア音楽、バルカン半島の音楽、アフリカ音楽、日本音楽、等々。あらゆる音楽に精通しており、競演ミュージシャンの幅の広さにおいて右に出るものはいない。
第一世代のコスモポリタン・ミュージシャンとしてその経歴を重ねてきたが、80年代に起る関西ブラジル音楽シーンの立役者として重要な役割を果たす。中でも北摂サンバ商店と言う総勢20人を超える彼のグループは延べで60人近くのメンバーを輩出し、その後のシーンに大きな影響を与えた。
ベーシストとしての彼自身の根底にあるのはジャズ、ブラジリアン、ロック、ブルースである。そしてその卓越したテクニックとユニークな発想力で彼が参加するバンドに常に新しい音楽を提供する。
現在はそのフィールドの括りを取り去り、あらゆるジャンルにおいて横断的に活動している。コントラバスと6弦ベースギター(ギターチューニングのエレクトリック・ベース)をメインに演奏。

http://www.xou.jp/
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実は晶さんとは、レッドライオンが始まった頃から、頻繁につきあいだすようになった。

奥様の石川まぎさんとはミノヤホールの中盤頃からのおつきあいだが、

なぜだか? 晶さんとはミノヤホールも終盤くらいからのおつきあいで

同じ夫婦でも、アプローチが違うのか不思議なものである。

シャンソンを吉田幸生に。民族音楽を田中峰彦、山口智に教えてもらったとしたら

晶さんにはブラジル音楽全般を教えていただいた。

とりわけ、ぼくはボサノバがとても好きになった。

晶さんといえば、「北摂サンバ商店」

ぼくも「イロモノ」担当として、メンバーに入れていただき

大暴れさせていただいた。

誘ってくれた当のご本人晶さん自身は、大変それを楽しんでくれたが

真面目にバンドで音楽をやっている一部のメンバーから疎まれて

ぼくはクビ(自首退バンド)になった。

怒るということをしない人である。いつでもえびす顔。

でも他のミュージシャンと同様、偏己。自刎の意見は常に一本の芯を持っている。

川崎洋子ちゃんを紹介してくれたのも、他のブラジル音楽のミュージシャンを

たくさん紹介してくれたのも晶さんである。

同じ8月生まれなので、これまた同じ誕生月の西野欣哉と一緒に

毎年のように「8月生まれのバースデイライブ」を行って

毎年いろいろな趣向をこらしたのが今では懐かしい。

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これこれ、これですよ 98年8月20日!

またやってみたいですね、晶さん。

箕面の山奥の岩田庵にもよく遊びにいった。

たくさんご飯もたべさせてもらいました。

ぼくの裏方という役割に関して、

一番理解を示してくれた人でもあります。

ちゃんとぼくのやってることを正しく見てくれる人がいるということは

とても力になるのです。

晶さんはそんな、大きな大きな人なのです。

晶さん ありがとう、と何万回言っても言い足りません。

いただいたものはそれに全て値します。

また一緒に、いいものおもしろいものを作れる日が来るよう

前向きにいきたいと思うのです。

よろしくお願いします。

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2012/4/29  23:12

キャスト28 藤森るー  出演者への思い
藤森るー(ふじもりるー)
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京都在住。 6月21日生まれ ふたご座  パーカッショニスト。
楽天的、解放的、全力で遊び、全速力で演奏し
アニメボイスも魅力? 
「アン・スクール・オブ・コンテンポラリー・ミュージック」ドラム科卒業。
1992年、「ドラムコンベンション」において審査員特別賞を受賞。
ホームバンドとして、インストルメンタルバンド「ぱ」を結成。
ドラマー及びコンポーザーとして活動中のほか、サポートメンバーとして関西のあちこちに出没している。

http://www.oto-san.gr.jp/pa/

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るーちゃんとの出逢いは、94年くらいのライブ。京都の磔磔。ひきたまさんのバックでやったと思う。

その後、松井恵子、家高毅と一緒に活動するようになり、頻繁にライブにきてくれるようになった。

また、自分のバンド「ぱ」でそのキャラクターとは裏腹の破滅的な爆音を出して

グルーブするのであった。多分レッドライオンでは2番目に音の大きなバンドやったかと思う。

るーちゃんといえば、「カレー」

彼女の作るカレーとライブを組み合わせてシリーズは細く長く

ずーっと未だに続いてやっている。

るーというくらいなので、るーちゃんのカレーはすごく美味しい。

そして、そして・・・・。

ぼくと西野欣哉と3人で、パーカッション+αのユニット「るるる」を結成し

元たまの大将、石川浩司を顧問に

随分無茶苦茶なライブをたくさんした。まぁおもしろすぎるくらいにおもしろい。

「るるる」は第4号に堀越大二郎 第5号に池田安友子を迎えて増殖してしまった。

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るるる 2000年2月6日 やってますねぇ。石川浩司もまたやりたいといってたよー



と、まあほんま長いおつきあいの彼女である。

とりわけくだらない事への打ち込み様は群を抜き、

どうでも良い事に素晴らしいセンスを発揮する

るーちゃんのDNAとぼくのDNAは一緒かも?

あ、一緒にするなって!

るーちゃんは最高です!



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2012/4/29  1:24

キャスト27 音やかん  出演者への思い
平松加奈
フィーチャーリング・音やかん

 【吉田幸生 船戸博史  
 西野欣哉 平松加奈 
 田村賢一】

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吉田幸生(よしだゆきお)[ピアノ]
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1960年生まれ。4歳からオルガンやエレクトーンに親しみ、高校時代よりピアノを弾き始める。大阪大学入学後は軽音楽部で活躍。自ら率いるポップスバンドで第25回ヤマハポプコン兵庫県大会優勝。1986年ごろよりシャンソン歌手出口美保の誘いでシャンソンの仕事を始める。関西のみならず、首都圏、名古屋などでも多くの歌手の信頼を得ている。ソロピアノCD2枚発表。自らのユニットは「音やかん」「maca」

http://www10.big.or.jp/~44day/

船戸博史(ふなとひろし)[コントラバス]〜ふちがみとふなとの巻参照。
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西野欣哉(にしのよしや)[パーカッション]
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ドラム、パーカッショニスト、作/編曲家
studio ritMOnkey(リトモンキー)主宰。
西宮在住。1968年生まれ。
関西を代表するラテン系パーカッショニスト&ドラマー。
二本の手から繰り出されるパワフルかつ繊細なプレイには定評があり、
ことにコンガの音色は関係者から高い評価を得ている。
また演奏中のパフォーマンスも人気がある。
チーチョ西野として多くのラテン系バンドにも所属。
また自身のソロプロジェクト「ART HAND」名義ではソロ活動。
それ以外にもDJ、サウンドエンジニア、としても活動している。
PEARL PURCUSSION endorser

http://www10.plala.or.jp/n448/index.html


平松加奈(ひらまつかな)[ヴァイオリン]
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  大阪府出身。4才よりヴァイオリンを始める。相愛大学音楽学部にてヴァイオリンと室内楽を久合田緑氏に師事。卒業後、クラシックで培った卓越したテクニックを軸に、豊かな音色と個性的な即興を表現の身上としたジプシージャズスタイルの演奏で多くのファンを魅了する。
 フラメンコ音楽を中心にインド、アラブ系ワールドミュージックやラテンジャズのコンサート、スタジオワーク、TVや映画音楽製作に数多く参加。桑名正博をはじめ、数多くのアーティストのサポートメンバーとしてコンサート、CDレコーディングに参加。国内外のジャズフェステイバルやフランス等での海外公演も数多く行っている。
 優れたフラメンコアーテイストとの共演も数多く行っており2007年には来日したスペイン人舞踏家マリア ナダル、ホセ グレコ2世と共演。2010年にはスペインフラメンコ界の巨匠ディエゴ カラスコ、故モライート チコと共演。最近では舞踏家ベニート ガルシアと共に新作を発表している。
 2000年、フラメンコギターの伊藤芳輝・タブラの吉見征樹と共に「スパニッシュ・コネクション」を結成。「インドから東欧を経てスペインのアンダルシアへと至るジプシーの道筋を、そこで生まれたフラメンコギター、ヴァイオリン、タブラといった楽器と共に音楽で旅をする」このコンセプトのもと、ジプシー音楽の一つの究極であるフラメンコ音楽をコアに置きつつも、ジャズ、民族音楽などのエッセンスを織りまぜ、独特のオリジナリティーを発揮している。ビクター、ポリスター等メジャーレーベルから通算9枚のアルバムを発表。ファーストアルバム「Spanish Connection」より平松のオリジナル曲「夢のあとで」 がTBS系ドキュメンタリー番組「NON-TV」 のテーマソングに起用される他、4thアルバムから「陽光の街」がキリン氷結バレンシアのCM曲に採用、「ピアソルンバ」がテレビ東京系番組「美の巨人たち」のテーマソングに起用、5thアルバムから「ritmo337」がテレビ東京系番組「ミューズの楽譜」のテーマソングに起用される。2006年にはNHK土曜ドラマ「魂萌え!」の音楽を全編担当。2009年にはNHK教育テレビ50周年記念番組連続人形活劇「新・三銃士」の音楽も全編担当する 。
 2008年、初のリーダーバンド「平松加奈con Armada」を立ち上げ、精力的に活動中。フラメンコ、ジャズ界 の精鋭メンバー達と新たなヴァイオリンサウンドを展開している。2010年に1stアルバム「Violin toca Flamenco」をリリース。同年8月の日経新聞に自身のコラムが掲載される。2011年、震災復興支援を目的とした、ミニアルバム『Volver a empezar~再起への祈り~』リリース。同年秋にグループとして参加し舞台を共に作り上げた鈴木敬子氏の舞踏公演はフラメンコ雑誌「パセオ」に絶賛掲載される。

http://www.geocities.jp/h_kanaviolin/

田村賢一(たむらけんいち)[チェロ]
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宝塚在住。20歳よりチェロに魅せられ大木愛一氏に師事。クラシックをはじめ、ポピュラー、シャンソン、タンゴ、ボサノバなどをこなすマルチプレーヤーとして、ライブハウス、コンサートなどで精力的に活躍する傍ら南大阪管弦楽団や千里フィルハーモニア・大阪などでトレーナー、指揮者としてアマチュアの指導にも携わっている。
また、作曲・編曲においてもその独特のアーティスティックさが根強い支持をうけており、幅広いジャンルのコンサートやレコーディングなどで活躍している。
古典から現代音楽まで幅広いレパートリーを演奏する室内楽団《SINFONIA DOMANI》を主催するほか、タンゴバンド《Plaza de Fuente》---(1st.Album「Verdescuroando」2009年2/20発売)、人形劇団京芸『火曜日のごちそうはひきがえる』のサウンドトラックの作曲・演奏(300回以上のロングラン公演中)などで活躍。


http://music-tamtam.com/

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吉田幸生の「お」船戸博史の「と」西野欣哉の「や」平松加奈の「か」田村賢一の「ん」

で「お・と・や・か・ん」=Sound Kettleというユニット名になった。

ミノヤホールの時代から、吉田幸生をメインとするユニットを立ち上げることはできないか?

ということを考えていて、レッドライオンが始まってすぐ、

シモーヌ深雪のバックで吉田幸生がバラバラでバックの共演をした

5人を集めてこのユニットが生まれ

レッドライオンが終了する前、平松加奈が関東に移住するまでの約2年間活動して今や幻のユニット。

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98年5月7日 音やかん誕生ライブ。同じ月のライブを見ると、今は亡き、市川修、村上ユミ子、高田渡、また現時点で音楽を止めてしまったミュージシャンの名前も何人か見受けられる。現在まで14年の歳月はやはり長い時間でもあったのだ。


そう今回のライブだけ、一夜限りの大復活なのです。

5人のことを語れば長くなりますので簡潔に。敬称略。

吉田幸生は須山公美子の紹介で、ぼくにシャンソンの世界とアーティスト達を紹介してくれ

プライベートでも大変お世話になった人です。

ずっと敬称略で書いてますが、略で書けるほど大きく優しい人なのです。

船戸博史はふちがみとふなとの巻で書きました。いろんなライブに参加してくれました。

童顔なので、よく昔は「船戸クン」呼ばわりをしてました。今考えると恐ろしい。ぼくよりいくつ上やねん。

船戸さんのベースは天下一品です。

西野欣哉は、藤森るーとぼくと3人で「るるる」という楽しいユニットも組みました。

未だにぼくのコンピューターお助け係です。いい奴です。誤解されることも多いバカです。愛してます。

田村賢一は、ぼくにタンゴの世界を教えてくれた人です。喰えない奴です。

奥様の林睦子との愛のキューピッドはぼくです。感謝しろよ。ははは。

そして、そして平松加奈。

一番愛してました。その音楽も、人間性も。異性としても。

今では住む世界も断然に変わり、雲の上の人になってしまいました。

でも今回、わざわざこのライブの参加を快く承諾してくれ、横浜から来てくれます。

とてもとても嬉しかったです。ありがとう。

何年かだいぶ前に一度だけ、ぼく主催のライブにきてくれたのですが

その時とはもうますます段違いです。

でも、しっかり聴かせてもらおうじゃありませんか

貴女の「今」の音を。

ざーっと5人に好きなこと書きました。

とても楽しみにしています。

今までの巻でも書きましたが、

音やかんのコーナーでも、今は亡きミュージシャン達の楽曲に

生命を吹き込みます。岸田プロデュースです。

村上ユミ子 西野美樹[ハーベスト〜ときわ] 市川修

この5人がいずれも当時に関わったことのあるミュージシャン達です。

音は永遠に生きる。どうぞ、アナタの耳で心で聴き込んでみて下さい。

そして表記にあるとおり、平松加奈をフィーチャーリングします。

平松加奈オリジナルの原点その当時は「中近東」というタイトルでしたが

今は「夢のあとで」という曲名になり、今もライブで弾きまくってるとのことです。

そして、音やかんはシャンソンコーナーにも参加しますのでお楽しみに。

音やかんのみなさん、次はいつできるかわかりませんね。

だから思いきりやって下さい。存分に。

加奈ちゃん、ほんまありがとう。

吉田さん、大役任せてほんますんません。

船戸さん快く楽しんでくれてありがとう。

にしの たのむで、ほんまに。おおおきに。

田村くん キミのチェロもどんだけようなったか楽しみやわ。
譜面整理で迷惑かけたね、ありがと。

みんなよろしくお願いします!!!





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2012/4/29  0:11

キャスト26 須山公美子  出演者への思い
須山公美子(すやまくみこ)
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関西学院大学大学院仏文研究科満期退学。学部在学中の1980年ライブハウスデビュー。オリジナル、シャンソン、昭和歌謡などをピアノとアコーディオンで弾き語る独自のスタイル確立。関西、首都圏と活動を拡げる。1989年大阪の老舗シャンソニエ・ベコーのオーディション合格。以来、シャンソンのライブハウス、イベントに多数出演。市民企画団体「宝塚シャンソン化計画」で、宝塚よりシャンソンを軸に据えた文化発信を狙う。

http://plaza.rakuten.co.jp/nekopunch328/
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このブログもとうとうここまできた。

この人が最後になったのは語り尽くせないから。

公私ともに大変なお世話になっている御仁である。

シモーヌ深雪の巻で、関西から発信をしてた80年代の数いるアーティストの中の一人ということは

書いたが、なんばのBEARSで

三上寛のライブをやることになった時

BEARSの店長であり、ボアダムズのギタリストでもある山本精一さんから

三上との共演で薦められ紹介されたのが、リクオさんと須山公美子さんだった。

彼女のステージを見に、京都は烏丸丸太町にあった

「アザーサイド」にライブへと足を運んだ。

お客さんは40人くらいいて、盛況。

そんな場に須山公美子その人が登場した。

唄をきいたとたん

「まだこんな人がいたのか!」

と思った。自分でもどういう意味がわからないが

そういう心の声がした。

ライブは2時間にも及び、とことん唄うことが好きな人なのだと思った。

しかし、そんなステージとは裏腹に須山公美子という人は

非常にムズカシイ人であった。

それ以上にぼくもオカシイ奴だった、みたいだ。

そこからのおつきあいが始まり、

ミノヤホールの頃には2年ほど彼女のマネージャーにつかせてもらった。

ミノヤホールがいろいろな理由でたちいかなくなり、

辞めることになった時

レッドライオンの話しをもってきてくれたのは

実は須山さんだった。

アザーサイドや東京のMANDA-LA2、今は無き渋谷ジァンジァンを紹介してくれたのも

須山さんだった。

吉田幸生を紹介してくれたのも

シャンソンにつないでくれたのも

みんなみんな須山さんだった。

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2000年2月10日 彼女のバースデーにハンス・アイスラーのライブを行った。レッドライオンではブレヒト祭りというイベントやゲストを入れてのライブなどもよくやった。

よく泣いたり、泣かされたりもしたし

喧嘩もした。

でもよくよく思えば、全部ぼくのことを思ってくれてのことだ。

ただ表現が下手なだけ。正直なだけ。

三上寛が父なら、須山公美子は母だ。

須山さんがいなければ、今のぼくは無い。

久しぶりに須山さんのCDを聴きながら、これを書いている。

ぼくは須山公美子のオリジナルが好きだ。

シャンソン歌手としても、立派なのは周知みなさんご存知のことかもしれないが

やっぱり、これからはオリジナルの唄をもっとたくさん唄ってほしい。

思い出しました。実はぼくが一番の須山公美子応援団の団長だったのです。

須山さん  

今まで通りで、でも前向きでお互いいきたいですね。

ありがとうございます。の一言につきます。

そして、ぼくの希望は、オリジナルの唄をたくさん唄えるライブを

一緒にこれからも創っていくことです。

楽しみにしています。




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2012/4/28  14:27

キャスト25 三上寛  出演者への思い
三上寛 (みかみかん)
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 1950年3月20日青森県北津軽郡小泊村に生まれる。67年同郷の詩人、寺山修司などの影響を受けて現代詩を書き始める。 69年ライブ活動開始。71年レコードデビュー。タブーな性言語、日本の呪われた風習を題材にした「怨歌」を歌いセンセーショナルを巻き起こし、 日本を代表するフォークシンガーとして確立。デビュー40年、還暦を越え、 青森という土地をバックボーンにパワー溢れる津軽を原風景とした人間の 生き様を歌う自作の唄はこの平成の時代の津軽民謡なのかもしれない。
 また詩人として詩集やエッセイも著書多数。
 ほかフィールドは広く、俳優(映画「世界で一番美しい夜」 「戦場のメリークリスマス」「トパーズ」などに出演) レポーター(NHK-TV「ふだん着の温泉」)などで活動。

http://ameblo.jp/kan-mikami/
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三上寛なくして、ぼくは非ず。

ぼくは1988年頃、ファミリーレストランに就職して日々を過ごしていたが

激務の上に精神的にもまいっていた時に出逢ったのが「COMICばく」

執筆陣は、つげ義春 つげ忠男 近藤ようこ など

すぐさま廃刊になり、その原画展を東京に見に行った時、

ふらりとよったのが、東京吉祥寺のライブハウス「MANDA-LA2」

そこで唄っていたのが、三上寛だった。

テレビのドキュメント番組で何気なく知っていた、「三上寛」という名前。

初めて入るライブハウス、初めて見る三上寛。

なんともいえないものが遺った。

それは感動ともいえない、憎しみでもなく、なんなんだこれは

というものだった。

さらに次の年くらいに、また東京へ彼のライブに足を運んだ。

ライブが終わり、思い切って声をかけてみた。

「大阪にはこないんですか?」

「20人くらい集めてくれたらいつでもいくよ」

と言って、自宅の電話番号を教えてくれた。

そして、1990年初めくらいに、大阪のカフェで、本当に彼のライブを企画した。

そうこれが、企画者・岸田コーイチの誕生であった。

あとは書き尽くせないくらいのエピソードがある。

レッドライオンも定期的に出演していただいた。

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2000年3月20日は 三上寛50歳のバースデーライブを盛大に行っている。ゲストは誕生日が二日違いの同じ年の大塚まさじさん


三上寛との間には挫折もあったし、断絶もあった。

しかし、今この時点で、まだこうやって音楽にしがみついている。

恥さらしもいいところの岸田コーイチであるが、

この3年ほど前、自分の限界を感じて、音楽は止めることを決心して

タクシードライバーになった。

でもタクシーに乗っても、三上寛は言った。

「今まで通りでいい。年に1〜2回はおまえのために唄いにいってやる
 それが俺にできることだから、だから今まで通りにライブをやってくれたらいいのさ」

と。

だからタクシーやりながらも、三上寛ライブだけはコンスタントに年2回のペースで行って

止めようとした音楽との関係を断つことはなかった。

「おまえは音楽のど真ん中にいるのさ」

いつ頃から「師匠」と呼ぶようになっていた。

音楽はもちろん人生においても「師匠」なのだ。

今年の初頭から、念願だった、三上寛のホームページを創ることに際して

「ブログ」という形で、管理人として創り始めた。

あらゆるところで反響をよんで、ファンや関係者のみなさんが

大変喜んでくれて、とても嬉しく思っている。

今回、元々関西ツアーでこちらに来ることが決まっていたので

同窓会ライブの出演をお願いできた。

でも、今回この同窓会ライブのゲストとなるのは

実は必然だったのかもしれない運命に

驚きと感謝を隠しきれません。 本当にありがたくすばらしいことです。

師匠に少しは恩返しできただろうか?

師匠、死ぬまで舎弟でいさせて下さい。

三上寛より産まれたぼくの全ては

三上寛でできています。

三上寛の唄で生きてこれました。

いつまでもいつまでも

その魂の叫びを聴かせて下さい。





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2012/4/28  12:47

キャスト24 シモーヌ深雪  出演者への思い
シモーヌ深雪 (しもーぬふかゆき)
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1986年デビュー。ゴージャス且アバンギャルドなステージには定評があり、
ロックテイストを加味した退廃系のシャンソンを得意とする。
正統派を極めたレビューショー、そのエキセントリックなフロアーショー、そのどちらも国内外を問わず
高い支持を得ている。日本のドラァグクイーン[男性が女性の姿で行うパフォーマンスの一種]の第一人者である。

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シモーヌとの出逢いはよく覚えている。

関西のアングラ・カルチャー界 で活動する、編集者・ライター、ガンジー石原さんから

紹介され、ミノヤホールでの須山公美子ライブのゲストで登場してもらったのが最初。

多分92年の終わりくらいだったような気が。

あの頃は、お笑いも音楽も一つのエネルギーの塊みたいなものが

動いていて、今でも関西アンダーグラウンドを発信するライブハウス

なんばの「BEARS」からモダンチョキチョキズやボアダムズ、

アフターディナー、須山公美子、Phewなどが、活躍に熱を浴びていた時だった。

シモーヌ深雪もそんな中の一人だった。

ぼくの活動が成熟するよりはもう少し前の話し。

そこに集ってたのが、サブカルの編集者たちであり、ガンジーさんであって

大変お世話になった。

シモーヌはシャンソンを唄うので、シャンソンができる小屋で

やってみたら、ということで。

彼の楽屋での「変身」は1時間前後をかけて行われるものであるが

当時の上司で今回のライブでPAを担当してくれる井上利夫さんは

事務所兼楽屋だったところで、初めてシモーヌがライブをやっていたところで

遭遇して、その異様な空間時間に肝を冷やされ真っ青になっていたのが忘れられない。

今ではお笑いぐさだが。ちなみにぼくはどうってことはなかったのだけれど。

須山ライブでぼくと意気投合したシモーヌにライブを打診して

紹介したのが、今ではシモーヌ深雪の伴奏にはかかせないピアニスト

吉田幸生だった。

先述した森本理子共々、初めてのステージはなかなかすごかったものになった。

吉田さんを紹介したことで、

彼はシャンソンを本格的に修練していくこととなる。

元々、「イロモノ」程度のもので、表現の迷策していたシモーヌが

シャンソンというジャンルを徹底的に研究して練習して、魅せかたについても

いろいろ試してできあがったのが、今のシモーヌ深雪である。

彼が人知れずどれだけ血の滲む努力をしたかを知っているのはぼくだけであった。

今、ここに書いてみた。

しかもシモーヌのシャンソンは奇をてらっているように見えるが

実は一番、直訳に近いものを唄っている、“純シャンソン” なのである。

だからぼくは、シャンソン歌手「シモーヌ深雪」を本当に応援した。

彼の案でいろいろなことにも挑戦した。

ディナーショーや企画もの。CDのレゴーディング。

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1999年12月28日 世紀末・最後の晩餐ディナーショーは、シモーヌ深雪+音やかん

先日亡くなった、東郷健さんのトリュービート、寺山修司作品でもある「薔薇門」のライブ。

ぼくもコーラスメンバーで入ったが、

バナナホールのライブでは、卒倒するお客さんが出たことが忘れられない。

ツアーも東京や名古屋など一緒によくまわった。

シモーヌのおかげで、シモーヌのバックをつとめてたメンバーを結成して

「音やかん」が誕生することとなる。

さて、このところは、グランドピアノを使える空間がないのと

ぼくが活動を停止してしまったため、

この3年ほど彼とはあっていないので

久しぶりの出逢いでステージが楽しみだ。

音やかんとの一幕もある、かも。

シモーヌさん いつもありがとう

シモーヌさんのシャンソンは本当に素晴らしいと思います。

たくさんの人に、シモーヌ深雪を聴いてもらいたい。

それは今までと変わりない、これからもぼくの希望です。



3

2012/4/25  23:27

キャスト23 森本理子  出演者への思い
森本理子(もりもとりこ)
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大学時代、女性ばかりのスーパーフュージョンバンド「ステラ」にドラマーで参加。ロックの登竜門8・8ロックデイにて、グランプリ受賞。その後ラジオでダミアの「暗い日曜日」を聞いて衝撃を受けシャンソンを志す。地元神戸を中心にライブ活動。世紀末にCD LICO Larme Noir発表。数年前に「東京道場破りツアー」を決行し、老舗のシャンソニエに出演するも、あまりのしょうもなさにがっくりし、他人のことはもうどうでもいいから、残された人生の中で自分の好きな歌をわがままに歌って行きたいと思っている今日この頃。ミノヤホール レッドライオンは非常に個性の強いアーチストと対バンをはらせて貰い、刺激的だった。私の第二の青春でした。
(プロフィール当人記述を岸田が補填)

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今まで書いてきた、各シャンソン歌手のみなさんと同様、ピアニスト吉田幸生が

ミノヤホールで、シモーヌ深雪の初ライブの対バンとして堂々に連れてきた

お薦めの唄い手であった。

当時の資料を見ると、1993年にそのライブを行っている。

そして3年前の2009年に再び16年の時を経ての3人会のライブを行った。

93年当時の理子さんの写真がなんと残っていた。これです。
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ハスキーボイスが醸し出す、パントマイム的な要素を入れたステージ

「地下の女王」と異名をとる理子さんのライブは

実験的なものを繰り返し、たびたびうちに登場してくれた。

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1999年5月23日 世紀末に森本理子「ティータイムコンサート」開かれる

レッドライオンより昔、ミノヤホールで行われた、ライブの書評がまだ残っている。

http://www.geocities.jp/ing9702/riko.htm 彼女の世界が詳細に書いてある。

ぼくが彼女の唄で度肝を抜かれたのは

「さあ歩け」という唄。

ジャック・ブレルのAU SUIVANT(さあ続け)というのが原曲で

軍の売春宿で、丸裸で並ばされた人の行列。

軍兵の「次の人!」という声が容赦なく響き、

自分の番がやってくる…。

かなり過激な歌詞で反戦の色濃い曲。

シャンソンというものはこんなに激しく、人間臭いものなのか

森本理子、シモーヌ深雪、須山公美子・・・

貴女達がいなかったら

本当の意味でのシャンソンとの出逢いはなかった。

だからぼくは今でもシャンソンを続けられるのだ。

そして理子さんは

その他にもいろいろな唄を魅せ続けてくれている。


ピアノの山本葵さんが縁で

中之島まつりの連中とも仲良くなって、そちらのほうにもよくお誘いがかかっていたみたいで

人とのつながりはどこでどうつながるかはわからない。

理子さんは、よくお客さんとしてもいろいろなライブを見にきてくれた。

志向的にはぼくと同じ方向の人なので

随分共感してもらえるライブも多かっただろうと思います。

理子さん これからもマイペースで我が儘にどうぞ唄って下さい。
聴かせて下さい。ぼくはずーっとおつきあいさせていただきますよ。はい、是非に!




3

2012/4/25  22:40

キャスト22 岸部眞明  出演者への思い
岸部眞明(きしべまさあき)
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アコースティックギターリスト

1964年 1月13日 大阪府吹田市生まれ 。在住。
アコースティック・ギターのフィンガーピッカーとして日本を代表する一人であり、屈指のテクニックを持っている。オープン・チューニングを用いることが多い。1980年より中川イサトに師事。2002年には、アメリカのカンザス州ウィンフィールドで毎年開催される『ナショナル・フィンガーピッキング・ギター・チャンピオンシップ』に参加し、最終予選に残った5名の一人に選ばれるという快挙を成し遂げた。翌2003年の9月、ウォルナットバレー・フェスティバルのフィンガーピッキング・コンテストで2位を獲得した。2004年12月には、NHK制作のクリスマス特別番組のドラマ「サンタが降りた滑走路」の音楽を担当し、2006年4月には、やはりNHK制作によるBSハイビジョン「映像詩・富士山 知られざる絶景に挑む」の音楽を担当し、彼自身のギターインスト作品が全国に放送された。

1978年 中学2年生の時にギターを弾き始め、その頃よりビートルズ等、海外のロック、 ポップスに興味を持つ。 弾き語りはせず、すぐにAcoustic Guitarハイテクニックシリーズというレコードを見つけ、 その中のアンジー、ドックのギター等を聞き、ギター音楽に興味をもつ。
1987年 初めてのオリジナル曲といえる、Streamを作曲。
1991年 この頃より、ライブ活動を京都、大阪で開始する。同時にギター教室も開始する。
2009年 7thアルバム「12 Stories」発表。
2010年 韓国でベスト盤「花 hana」が発売される。

http://www.jpp.co.jp/capo/

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岸部さんとのつきあいも古い。

一番最初ミノヤホールでやっていた、91年初めくらいだったかの

有山じゅんじさんのギター教室に彼が来てたのが出逢い。

師匠の中川イサトさんの手引きもあって

だんだんライブに出てくれるようになった。

またミノヤホール〜レッドライオンに出ていた、他の弾き語りの連中とも仲良くなり

彼らのバックなどもよくやってくれたり、

今は亡き、家高毅とも、全く違うアプローチだったが

同じインストゥルメンタルギターを目指す者同志で

よく対バンのライブもやってくれた。

家高さんの追悼ライブでは、彼の曲も弾いてくれましたね。

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2000年6月30日 岸部VS家高のライブがこの時も。この年の末に家高が逝った

中川イサト一門で、弟弟子には、あの押尾コータロー君がいたり、

兄貴分には先述した野田悟朗なんかもいて、

レッドライオン閉店ライブの時に

何故か中川イサト一門ギタリストが集まるという

そんなこともありましたねぇ。

このところライブでご一緒することも無くなってしまって

今回のライブで、本当に久しぶりにお逢いする

とかく無駄口を叩かない、寡黙な男。

さんざん、いろいろなミュージシャンの巻でも書いてきたけど

この人も頑固でこだわりの人。

そらそうだわな、

あれだけ繊細なギターの音色を創り出し、人に聴かすのに

細かくならざるを得ない。

今回のライブも、音響のことを心配していたが

岸部さん大丈夫です。中之島まつりの精鋭PA二人が

どーんと受け止めてくれるはず。

岸部さんのギターの音色は岸部さんの全てですね。
何も語らなくても、弦で語る。
そんな素晴らしい音色を久々に聴かせて下さい。



1

2012/4/25  21:21

キャスト21 JAN  出演者への思い
J A N
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本名 西尾泰光

1977年5月15日 静岡県掛川市に生まれる

1997.4.24−8.1 第一回「100日間世界一周(吟遊詩人神出鬼没編)」を成功させる
1998.3大阪にやって来る 
2000. 初頭 レッドライオン従業員に。
2000.9.12−12.20 第二回「100日間世界一周(アジアアフリカアメリカ編)」を成功させる 
2002.西九条「SOFTMACHINE」にて、「LIVE 吟遊詩人」をプロデュースする
2003〜2008「SOUND BAR 吟遊詩人」を経営 
2010 第三回 「100日間世界一周」を成功させる
現在、弾き語り、叩き語り、音楽企画と精力的に活動中。

http://soundbar.cocolog-nifty.com/blog/

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ぼくは彼のことを「アホ」とか「バカ」とか呼んでしまう。

救いようのない「アホ」「バカ」

その生き様は賞賛に値する。

とてもぼくにはできないことを数多く成し得ている。

世界一周・個人での店の経営・パートナーの獲得、

全てぼくには無いものを持っている、羨ましい限りの男である。

さてこの男、西尾JAN。

熱い男だが、自らが奏でる音楽は空回りの部分が多い。

久々にお手並み拝見といきますが、どないなってるかな?

当人のプロフィールには、レッドライオンのことを書いていない。

よっぽど嫌な過去やったのかな? 西尾君。

わからんでもない。一所懸命レッドライオンの飛び入りライブに直参して

自分をアピールして

果てには、十三に移住し、うちの従業員にまでなったのに

わずかその半年ほどで、店がつぶれたからなぁ。

でもそのあとが偉かった。キミは一国一城の主になったのだから。

「アホ」「バカ」はキミを褒め讃える言葉でもあり

そのままの意味でもある。

愚直でまっすぐで限りなく溢れ出るパワー

勘違いも多くて、イライラさせられることも多かったこの男

でも憎めない。気になる。

たくさんの人からも愛されて

それを糧にがんばってるんだろう。

ライブ当日は、久々にレッドライオンの従業員として

ぼくを手伝ってほしい。一緒にみんなとライブを盛り上げて下さい。

JAN 好きにやれよ、やってくれよ。気持ちよくね。でもひとりよがりになったらアカン。
いつもみんなのことを思って唄うんやでぇ。
 


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2012/4/25  20:30

キャスト20 呉ひとし  出演者への思い
呉ひとし(ごひとし)
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大阪在住 1月19日生まれ。
人々を魅了するハスキーボイスと、心地よいメロディーラインで「心の中で会いたくて」をテーマに、心と心のコミュニケーションを求めるシンガーソングライターである。

1977年〜84年 tomoとフォークデュオ「ラムネ」を結成し活動
78年 MBSの人気ラジオ番組「ヤングタウン」土曜日レギュラー出演。
84年〜ソロ活動開始
86年 音楽活動グループを「KINGMIX」を立上げ、大阪のインディーズミュージシャンの中心的グループとして活動する。1998年 CDソロアルバム「EARTH BEAT」を、99年 CDシングル「OPEN YOUR EYES」 「どんまい」を発表。2006年 往年のデュオ「ラムネ」復活!
ファーストアルバム「1st&Best」08年 「ラムネ」セカンドアルバム「Brother & Brother」発表。
現在も、関西・関東・四国を中心に北は北海道、南は沖縄まで日本全国で精力的に活動している。

ラムネ http://www.rak2.jp/town/user/ramune/

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松井恵子の巻でも書いたが、呉さんという人は、京都のライブハウス「アザーサイド」の飛び入りで

知り合った人であり、古いつきあいで、竹馬の友というよりは “兄” である。

まぁどのミュージシャンにも足を向けては眠れないが

呉さんに関しては、常に平伏してもおかしくないくらいお世話になっている。

レッドライオンが閉店したあと、路頭に迷っていたオレペコ企画を

呉さんの事務所があった「フォーバンス」に

半年ほど居候させていただき、事後処理や新しいライブの企画などをさせていただいた。

その他にも、数限りないほどの恩恵を受けて、

ここには書き尽くせないほどである。

その大きな身体にも表れるように

大変人間が大きくて優しい人である。

バラードを唄わせたら、天下一品。

ハートフルとはよくいった表現である彼の唄。

ぼくの青春とも相まって、

その一曲、一曲が、心に刻み付けられて

聴けば、心震わされる。

ミノヤホールの時代に、ミノヤホールの目の前にあった中華料理の紬(つむぎ)で

よく打ち上げをして、とても楽しかった。

あの紬のお父さんももう天に召されて

年月はどれくらい経ったのだろうか・・・・。

呉さんと松井恵子さんとは一緒に東京へのツアーへいったり

ここ最近ではカレーライブをしたり、おつきあいは尽きることなく

ほんと未だに「きっしゃん、きっしゃん」と松井さん共々大事にしてくれている。

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松井恵子さんの時にも載せたけど、もう一度。きっしゃん、呉さん、松井さん 一番左は長崎のかりんちゃん

うちに出入りしていたミュージシャンの実力派は

京都勢がとても多くて、松井恵子、ふちがみとふなと、西沢和弥、藤森るー、

今回は出演オファーできなかった、中村ゆきまさ など

アザーサイドで活躍していた人たちだったが

呉さんは生粋中の大阪。大阪のいろんなミュージシャンを発掘して

大阪のアコースティックの世界を

本当に古くから引っ張ってきてくれた。そしてぼくも引っ張ってもらった。

呉さんありがとう、ありがとう、ありがとうとしか言えません

たくさん心の中で会わせて下さい、その唄で!








 
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2012/4/25  14:17

キャスト19 田中峰彦  出演者への思い
田中 峰彦 (たなかみねひこ)
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■ シタール演奏家
1983年民族音楽とりわけ北インド古典音楽の豊かな音楽性・即興性に魅せられシタールをはじめる。1988年渡印、カルカッタ(現・コルカタ)にてシタールの巨匠故ニキル・べナルジーの直弟子で演奏家のアミット・ロイ氏に師事。各地で演奏活動を行い、豊かな詩情とワイルドさをあわせもった演奏には定評がある。
また古典の一方では、作曲家としての評価も高く、民族音楽の旋法や歌いまわしを駆使したオリジナル曲を独自の奏法により発表。様々な演奏家や舞踊家との共演、テレビ・ラジオ出演など、精力的な活動を展開している。
CD作品は、自作曲による「ミネラル・ファンタジー」「上下楽園」など。その他参加CD多数。
海外公演は、2002年英国グラストンベリー・フェスティバル、2006年・2008年ノルウェー、2008年フランス国立劇場(リール)出演、2010年・2011年台湾。
http://homepage1.nifty.com/mineral-t/

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前述の山口智さんの時にも書いたが、やはりミノヤホールの吉田文夫さんのライブで知り合っているので、

田中さんとは古いおつきあい。

シャンソンやハンマーダルシマーと同様に「シタール教室」もミノヤホール〜レッドライオンで

行ってくれた。

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今、バリバリに大阪で活躍しているシタール奏者の石濱匡雄クンは

中学生の時に田中さんのシタール教室に通ってた。いやービッグになったな、ただおくん。

田中さんは美人の奥さんでタブラ奏者である、理子さんと

よく北インド古典のライブをしてくれた。

反面、異ジャンルの人々とのセッションもぼくプロデュースで

よくやってくれた。津軽三味線の佐藤通弘さん(今回、佐藤さんもお呼びしたかったけど無理でした)はじめ

ジャズ、ポップス、ハワイアンなどとなんでもござれで

シタールでディープパープルを弾きだす始末。

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2000年6月7日にも異種混合セッションを行っていますねぇ

この人も普段は温厚でほわっとしているが

筋金入りの偏屈。こだわりは貫き通す。

まぁアーティストというものは、それくらいじゃないと

続けて行くことができないのかもしれない。

そして、オリジナルで作った彼自身の曲はとても美しい。

インド音楽に魅了されて、シタールを選んだということは原点にあるのだろうが

彼自身というものを表現するには、シタールでもギターでも良かったのかもしれない。

でもやっぱりシタールがいい!

それほどオリジナルの曲は賞賛に値する出来だ。

レッド以降も他のミュージシャンと同じく、つかず離れずでライブを共にしてきた。

最近といっても5年くらい前になるか、「三花弦奏」というユニット(ヴァイオリン柴田奈穂・ベース東ともみ)

をぼくがプロデュースして、彼もいたって気に入ってくれたようで、未だに続いてあちらこちらでライブを

してくれてるみたいだ。

今までここに書いてきたミュージシャン達とのつきあいは大体20年前後のつきあいになってて

こんなに長い間のつきあいとなると、お互い良いものも悪いものも知り尽くしてしまって

人間というのは、どうしても悪いことばかり覚えてて、そこばっかり責めてしまうという

ことがあるのだけれど、

そうぼくは少なくともそういう、汚れの人間なので、

なかなかそれが認められなくて、どれだけいろいろとお世話になったかとか

良くしてもらったことも忘れて、悪いことばっかし責めて迷惑をかけたか。

田中さんにもそうだったと思う。

最近、やっとそんなことがわかってきて

純粋に音楽で楽しみ逢えた者同士で創ってきたものを

もっと大事にしてそして楽しみたいと思うのであります。

ねぇ田中さん。



今回のライブに一つテーマとしてぼくがあげたいのは

あの当時活躍していたけど、今はもうこの世にはいないミュージシャンたちのこと。

彼らの肉体はあっちへ逝ってしまったが、

彼らの遺した音楽は、奏でれば蘇るのです。

是非、彼らが遺した音楽というものを

そして彼らを忘れないでほしい。

ぼくが死ぬまでは、彼らの音楽をことあるごとに

蘇らせて、奏でていきたい、そんなライブ創りを目指していきたいのです。

そんな中の一人に、ギタリストの野田悟朗〜ごろちゃんがいます。

[野田悟朗については http://www.geocities.jp/aco12gen/index11.htm

ごろちゃんは2006年6月に亡くなりました。

今回の田中峰彦&岩田晶とごろちゃんの3人でライブをやりました。

そして、ごろちゃんが大好きで、共演もした平松加奈ちゃんも今回きてくれます。

今回のライブで田中さんにお願いして、

ごろちゃんの曲を1曲、3人で演奏してもらうこととしました。

音は永遠に生きる。ごろちゃん当日は聴きにきて下さい。


田中さんいつもいろいろいうて、無理きいてもらってありがとう。シタールといえば田中さん

田中さんのシタールの音色でええ意味で気持ちよく「ぼや〜っ」とさせて下さい。

よろしくです!



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2012/4/25  13:40

キャスト18 川崎洋子  出演者への思い
川崎洋子(かわさきようこ)
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大阪生まれの大阪育ち。 第一師匠は、癒し系ジャズシンガーの中谷泰子。 第二師匠は、ジャズシンガーの故・越智順子。 4歳から電子オルガン・7歳からエレクトーンに親しむ 。 高校卒業後、CATミュージックカレッジ専門学校・
ボーカル科にて音楽を学ぶ。 1997.1月メジャー歌手デビュー 。2000.3月メジャーからインディーズへ。
2002年より、バンド”SHINE”での活動開始 現在はSHINEでのライブ・川崎洋子ソロライブ。
そして、お母さん業、続行中。
http://www2.odn.ne.jp/yoko/  (ホームページ更新停止中)

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ようこちゃんは、プロフィールにもある、某音楽学校で講師をしていたベース、岩田晶さんからの紹介で

ミノヤホールでライブをやったのが初めだったと思う。

まぁ、子供がいる今でも可愛いけど、あの当時はもっと可愛かった。可憐な女の子だったな。

彼女の音楽は、その人間性と相まって、「素直」につきる。

それ故にインパクトというものがあまりない。

メジャーを辞めて、一人になった時に、ライブのプロデュースをさせてもらったが

そういう彼女の音楽性に対して、大変手厳しいことをいって

「私打たれ弱いんです」と、大泣きされたことがあって

ほとほと困り果てたこともあったが、

子供さんができたからは、もともと持っていたその素直なものが

さらに透明になっていくかのように

自然体で音楽に身を委ねているようにみえる。

「生きて行く」ということに、自然に前向きにやさしく

彼女はますます素晴らしい人になった。


そうそう蛇足だが、「川崎洋子」を検索でかけると

随分たくさんの同性同名がいたもので

しかも、同じ様な歌手活動してる人がいるので

この際、改名などしてみてはどうだろうかようこちゃん?

ぼくは普通は改名などせずに、そのままいけ!ということのほうが

多いのだけれど、ようこちゃんは常に前向きなので

次へ向けての改名もいいと思います。

ホームページが凍結してるみたいなので、ブログでも書いて欲しいな。


レッド以降もライブはコンスタントにおつきあいさせていただいていて

最近ライブはご無沙汰になってしまったけど、

ピアノの吉田幸生に彼女の伴奏のことはずーっとお願いしてきて

今では息もぴったりな間柄になりましたね。

今回のユニットも豪華に、先生の岩田晶さんはじめ

ご存知、吉田幸生、西野欣哉、そして平松加奈と豪華です。

ようこちゃん、軽やかに、楽しく、唄いたい唄を唄って下さい。久しぶりのみんなで創り上げる唄を聴かせてもらうのが楽しみですよ。
1

2012/4/25  12:53

キャスト17 ふちがみとふなと  出演者への思い
ふちがみとふなと 
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 渕上純子(ヴォーカル・ピアニカ・鳴り物)と船戸博史(ウッドベース)の二人からなるインディーズバンド。主に京都を中心に活動。それぞれ別々にアフリカを旅行中に旅先で出逢った渕上と船戸が、帰国後京都で再会し、1991年、京都の知り合いの酒場で頼まれて歌い始めたのが、そもそもの始まり。ウッドベースと歌のみという編成と、選曲・編曲の面白さが評判になり、あちこちの酒場やパーティでライヴをするようになる。またそんな中で自分たち自身も、この編成による演奏の面白さを再認識し、1992年よりオリジナル曲を作成、バンド名も「ふちがみとふなと」としてライヴハウス出演を開始。1997年には自らのレーベル「吉田ハウスレーベル」を設立。ふちがみとふなとのアルバムはここからリリースされる。ジャンル不明の音楽とその精神はじわじわと聴衆にも演奏者にも受け入れられ、活動場所・観客・共演者ともに広がりを見せつつ、今に到っている。

渕上純子(ふちがみじゅんこ)
幼い頃より自宅応接間にて歌謡曲のピアノ弾き語りひとりコンサートを行い、これが後の音楽活動の原形となる。様々なバンド活動の後、一時中学教諭に専念し音楽から身を退く。1987年頃、思うところあって教諭を辞め、アフリカを放浪する旅に出る。1年半ほどのアフリカの旅で大いに感じるところあり、帰国後再び歌い始め、自己のバンド「ビジリバ」「ふちがみとふなと」を結成。

船戸博史(ふなとひろし)
同志社大学卒業後、ジャズのベーシストとして歩み始める。世界各地を彷徨い、1988年アフリカより帰国後、ジャンルにとらわれない音楽活動を本格的に開始。現在に到るまで多数のバンドに参加している。またジャズ、シャンソン等の世界に首をつっこむかたわら、いろんな民族楽器とのセッションも行っている。 。主な共演者には梅津和時、片山広明、渋谷毅、山木秀夫、林栄一、山本精一、千野秀一、大熊亘、高田渡、大島保克、大工哲弘、三上寛、横川タダヒコ等、縦横無尽。

http://www.yoshida-house.net/indexj.html

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ふちがみとふなとのプロフィールを読んでいて、やはり活動の開始時期が、ぼくがミノヤホールをやり始めた時と

全く時期を同じくしている。

船戸さんとは何で知り合っただろう? 忘れました。

でもその船戸さんから、ふちがみとふなとでミノヤホールでやろうということになって

その最初のライブのことはよく覚えている。

それからずーっと、レッドライオンが終わるまでは

定期的に出演してくれたし、ご他聞に漏れずのぼくの乱入も寛容に受け入れてくれた。

彼らの人気というのは、現在誰もが知ってのとおりの売れっ子で

何故人気があるのかというと、それはもう聴いた人しかわからない良さなのであって

それが万人の人に共通したということ。

何よりも「プロ」として、強い自覚を持って活動されてきた二人で

見た目や雰囲気からは想像できない厳しさを持って今までやってきた。

これからもそれは変わらない。

その姿勢から、ぼく自身大変いろいろと学ばせてもらった。

彼らに、いい加減な采配をし、迷惑をかけ、随分お叱りも受けた。

だから、ふちふなのライブをやる時は、他のアーティスト以上に気を遣う。

そういうこともあって、レッド以降は、数えるほどしか一緒にライブをやってこなかった。

表現者として表であろうが裏であろうが、プロという強い意識で

活動しているミュージシャンにとっては、ぼくという存在は中途半端で

「プロ」に成り得なかったアマチュアでしかないのだ。

それでも、それでも、

やっぱり最後は音楽だ。唄だ。ふちがみとふなとの唄とベースが大好きだ。

若い時には、怖いもんなしの自分だったから

今考えたらすごく失礼なことを二人にはいっぱいしたかもしれなかったが

何にも考えずに、一緒に「ふちがみとふなと」をもっと楽しんでた。

自分のしょうもない殻に囚われて、大好きな彼らの音楽と離れてしまってた。

でも今回、お誘いして快く出てくれることがとても嬉しい。

今なら自然にふちふなを楽しむことができる。

渕上さん、ご無沙汰しています。久しぶりに楽しんでいいですか? たっぷり唄って下さい。一緒に口ずさみます。

船戸さん、お腹に響いて染み込む、船戸さんのベースが本当に大好きです。今回は、ふちふな以外にもいろいろお世話になります。いつもありがとう。よろしくです!
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