2012/4/29  0:11

キャスト26 須山公美子  出演者への思い
須山公美子(すやまくみこ)
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関西学院大学大学院仏文研究科満期退学。学部在学中の1980年ライブハウスデビュー。オリジナル、シャンソン、昭和歌謡などをピアノとアコーディオンで弾き語る独自のスタイル確立。関西、首都圏と活動を拡げる。1989年大阪の老舗シャンソニエ・ベコーのオーディション合格。以来、シャンソンのライブハウス、イベントに多数出演。市民企画団体「宝塚シャンソン化計画」で、宝塚よりシャンソンを軸に据えた文化発信を狙う。

http://plaza.rakuten.co.jp/nekopunch328/
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このブログもとうとうここまできた。

この人が最後になったのは語り尽くせないから。

公私ともに大変なお世話になっている御仁である。

シモーヌ深雪の巻で、関西から発信をしてた80年代の数いるアーティストの中の一人ということは

書いたが、なんばのBEARSで

三上寛のライブをやることになった時

BEARSの店長であり、ボアダムズのギタリストでもある山本精一さんから

三上との共演で薦められ紹介されたのが、リクオさんと須山公美子さんだった。

彼女のステージを見に、京都は烏丸丸太町にあった

「アザーサイド」にライブへと足を運んだ。

お客さんは40人くらいいて、盛況。

そんな場に須山公美子その人が登場した。

唄をきいたとたん

「まだこんな人がいたのか!」

と思った。自分でもどういう意味がわからないが

そういう心の声がした。

ライブは2時間にも及び、とことん唄うことが好きな人なのだと思った。

しかし、そんなステージとは裏腹に須山公美子という人は

非常にムズカシイ人であった。

それ以上にぼくもオカシイ奴だった、みたいだ。

そこからのおつきあいが始まり、

ミノヤホールの頃には2年ほど彼女のマネージャーにつかせてもらった。

ミノヤホールがいろいろな理由でたちいかなくなり、

辞めることになった時

レッドライオンの話しをもってきてくれたのは

実は須山さんだった。

アザーサイドや東京のMANDA-LA2、今は無き渋谷ジァンジァンを紹介してくれたのも

須山さんだった。

吉田幸生を紹介してくれたのも

シャンソンにつないでくれたのも

みんなみんな須山さんだった。

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2000年2月10日 彼女のバースデーにハンス・アイスラーのライブを行った。レッドライオンではブレヒト祭りというイベントやゲストを入れてのライブなどもよくやった。

よく泣いたり、泣かされたりもしたし

喧嘩もした。

でもよくよく思えば、全部ぼくのことを思ってくれてのことだ。

ただ表現が下手なだけ。正直なだけ。

三上寛が父なら、須山公美子は母だ。

須山さんがいなければ、今のぼくは無い。

久しぶりに須山さんのCDを聴きながら、これを書いている。

ぼくは須山公美子のオリジナルが好きだ。

シャンソン歌手としても、立派なのは周知みなさんご存知のことかもしれないが

やっぱり、これからはオリジナルの唄をもっとたくさん唄ってほしい。

思い出しました。実はぼくが一番の須山公美子応援団の団長だったのです。

須山さん  

今まで通りで、でも前向きでお互いいきたいですね。

ありがとうございます。の一言につきます。

そして、ぼくの希望は、オリジナルの唄をたくさん唄えるライブを

一緒にこれからも創っていくことです。

楽しみにしています。




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