| 投稿者: 小鉄和広

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2014年12月 北マケドニア共和国首都スコピエの国立歌劇場にて東京オペラ協力公演 オペラ「夕鶴」のカーテンコール写真。指揮・大河内雅彦 演出・小鉄和広 衣裳・倉岡智一 出演 高橋薫子 他


 東京は雨が続き肌寒いくらい。こうなると今後晴れても、もはや秋の風情となるのでは。東京オペラを設立したのは2003年、それまでの同人的な東京オペラグループを、有限会社として名前もあらためたのでした。本日9月3日で満18年となりました。沢山のすてきな人に出会い、充実した仕事もいくつかできたことは満足しています。もちろん心残りはいくつもありますが、後ろを振り返るよりは、見通しのきかない未来を、手探りでなんとか開拓していきたいと思います。今後とも皆さまよろしくお付き合いくださいませ。








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2021/9/16  10:17 | 投稿者: 小鉄和広

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 フィガロは借金まみれ。それはオペラ第2幕フィナーレでアントニオにも皮肉られる。そもそも年増のマルチェリーナからさえ、彼女との結婚を担保に借金しているし。ホントかよ。まあ、金の為ならなんでも行われて、それが裁判の種になるような時代の風潮を、ボーマルシェが誇張してみせたんだろう。

 因みにボーマルシェ自身、自分の結婚と金銭にまつわるトラブルや、泥試合のような裁判沙汰を沢山経験し、またそのことはパリで大変よく知られていた。彼の戯曲「フィガロの結婚」を当時観た人達は全員、この裁判の場面で作者ボーマルシェ自身の派手な裁判っぷりを思いおこし、笑ったのだろう。作者自身が自分をネタにしたわけだ。

 埒のあかない判事の態度を誇張するため、イタリア即興喜劇のギャグの一つである吃音症をとりいれる、オペラ「フィガロの結婚」での習慣は、そもそもボーマルシェが戯曲を書くにあたりイタリア即興喜劇の伝統を踏まえていることから考えて、ふさわしいといえる。弁舌が爽やかであるべき仕事に、もっともふさわしからぬ人物があたる、という皮肉。(実際、なんでこの人がこの地位に、とあきれることは現実にしばしば起こるよね。)

 吃音の判事、文言解釈についてのくっだらねえ議論、封建領主からの圧力、そして、ありえないような結末… フィガロが実はマルチェリーナとバルトロの息子だった、というどんでん返しは、実に馬鹿馬鹿しい。そう。その馬鹿馬鹿しさこそ、ボーマルシェの意図であり、彼は自分が経験せざるをえなかった裁判沙汰自体の馬鹿馬鹿しさを糾弾してるんだね。

 それにしてもそもそも、フィガロはなんでマルチェリーナから借金したんだろうね。ヤバイ担保設定で。これはわからない。でも、仮にボーマルシェが、フィガロ像に自身を投影したのだとすれば、想像は簡単だ。

 彼、ボーマルシェ=フィガロは、金を使い事業を興し、成り上がりたいのだ。





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2021/9/15  8:46 | 投稿者: 小鉄和広

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 昔、「アマデウス」という、かなり人気だったモーツァルト伝記映画を観たが、その中でモーツァルトが「フィガロの結婚」作曲について興奮ぎみに語る場面がある。第2幕フィナーレが、伯爵と伯爵夫人の2人の争いから、次々と登場人物が錯綜し、ついには7人が言い募り紛糾する、と。途中にレチタティーヴォを挟まない、1曲の長大な「アンサンブル・フィナーレ」なのだ。

 あくまで映画であり、デフォルメは構わないが、いまここで、2つ、この映画への愚痴を聞いて欲しい。笑 まず、長いアンサンブル・フィナーレを書いたのはモーツァルトだけじゃなく、18世紀のイタリアの喜劇オペラのいわば「お約束」であったこと。モーツァルトは、先輩作曲家達の伝統的な型式を踏襲しただけ。もちろん、先輩達よりも、やり方は手が混んでいるし、モーツァルトの天才がほとばしってはいるけどね。…まあともかく、アンサンブル・フィナーレはモーツァルトの発明では、ない。

 もう一つはね、これが言いたいことなんだけど、作曲家がアンサンブル・フィナーレを書くためには、そもそも台本作者がそのための詩の形式で台本を書かねばならない、ということ。つまり、「フィガロの結婚」の第2幕と第4幕のアンサンブル・フィナーレが長大なものになったのは、台本作者ダ・ポンテがそう決めたから、なのだ!…モーツァルトからの要望によってそう書いたにせよ、ね。

 ここでオペラ台本の詩の形式について詳しくは触れないが、とにかく、いわゆる曲(アリア、重唱)なのか、レチタティーヴォ(語るようなスタイル)なのかは、詩のあり方によって、あらかじめ決まるのだ。だから、もしワシが18世紀の作曲家で、同じ台本に作曲したのなら、モーツァルトと同様に、やはり長大なアンサンブル・フィナーレを書いたに違いない。もちろん、長大、ではなく、冗長、になるが。笑

 なぜこんなことにムキになるのかと言うと、世の中が悪いから。笑 つまり、「フィガロの結婚」が傑作たる所以を、世の中がモーツァルト一人に帰すから。でなきゃ、原作者ボーマルシェに帰すから。あのね。台本作者の台本に、モーツァルトは作曲したの。レチタティーヴォかどうかだけでなく、曲においての拍子や基本リズム形すら、詩の韻律でかなり限定されるの。

 今回は台本の構成や言い回しには全く触れないで、ここでやめておきます。とにかく、そう、ワシは、ダ・ポンテの擁護者なのだ!

 余談だが、ダ・ポンテにしろボーマルシェにしろ、モーツァルトも含め、共通するのは、18世紀のヨーロッパを旅行し、自らの才能を頼りに成り上がった、ということ。この点で共通する有名人にカザノヴァがいる。彼は有名な「回想録」を残していて、当時のヨーロッパ社交・恋愛・風俗・芸術の貴重な記録者である。ワシがYouTubeで「カザノヴァ格言集」シリーズを出しているのは、彼らの時代をよく知り、その世界に遊ぶためなのだ。最後は宣伝か。



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東京オペラYouTube「カザノヴァ格言集」再生リストはこちら!







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2021/9/14  20:08 | 投稿者: 小鉄和広

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 オペラを料理に例えるなら、おいしいフルコース。ヨーロッパ文化の粋が劇場というテーブルに盛りだくさんに並べられています。一つのテーブルに、さまざまな料理(音楽、文学、美術、思想…)が集まっているわけですね。もちろん全てをいただいても美味しいのですが、何がなんだかわからないうちにただ満腹になってしまうかもしれません。
 東京オペラは、オペラのさまざまな要素を色々な側面からとりわけて、皆様にご紹介する公演をこころがけています。オペラは単なる教養ではなく、音楽による生き生きとした表現ですが、作品の成り立ちについて知ることは大切で、しかも、その学び自体が、楽しい異世界体験。あなたも東京オペラが提供するサービス「東京オペラクラブ」TOCにご入会し、オペラの世界で遊んでみませんか?


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2021/9/14  19:56 | 投稿者: 小鉄和広

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 現代のワシらにとっては、「復讐」すなわち「仕返し」、というのは、「悪いこと」として認知されているよね? たとえテレビドラマの「倍返しだ!」という仕返しのセリフが視聴者に受けたとしても、それはやむに止まれぬ感情の爆発であって、元来「仕返し」は悪いことである、というのは前提として暗黙のうちに了解されている。そのタブーを破って、やむにやまれずこう叫ぶ人物に、視聴者は共感する、という仕掛けなわけだ。

 しかし、18世紀のオペラにおいては事情が異なる。「復讐」は、そもそも初めから、「良いこと」なのである。これは古代ローマ文化にまで遡る考え、つまりキリスト教とは関係のない考えであり、高貴な者・選ばれし者は、恥はそそがねばならないのだ。こういう考えかたは、古い日本の仇討ちとも共通するし、誤解を恐れずに言えば、マフィアや暴力団にも引き継がれてきたわけだ。

 「フィガロの結婚」の中で、「復讐」すなわちVendettaを歌うアリアは2曲ある。一つはバルトロのもの。彼は復讐は賢者の喜び、と歌う。もう一つは伯爵のもの。彼は、復讐の期待で心は躍る、と歌う。注目すべきは、自分たちエリートは復讐してよいし、またそれは喜ばしいことなのだ! 決して悪いことでもおどろおどろしいことでもないわけ。(調性は2曲とも輝かしいニ長調だね。)

 なんと傲慢な特権階級の汚い考えだ、と言えるが、バルトロも伯爵も、自分たちは絶対的にフィガロよりも上位であり、正しいのだ、と揺るぎなく確信している。ここに、平民と特権階級の大きな溝があると言えるね。







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